「大本」の版間の差分

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* 明治25年(1892年)2月3日(旧1月5日):綾部で[[出口直]]に艮の金神([[国常立尊]])が神懸かり大本開教。
* 明治25年(1892年)2月3日(旧1月5日):綾部で[[出口直]]に艮の金神([[国常立尊]])が神懸かり大本開教。
* 明治31年(1898年)3月1日(旧2月9日):穴太(現・亀岡市曽我部町穴太)の[[高熊山]]で[[上田喜三郎]]が一週間の霊的修業。→「[[高熊山修業]]
* 明治31年(1898年)3月1日(旧2月9日):穴太(現・亀岡市曽我部町穴太)で[[上田喜三郎]][[高熊山修業]]
* 明治32年(1899年):喜三郎は綾部に移住して大本での活動を開始。
* 明治32年(1899年):喜三郎は綾部に移住して大本での活動を開始。
* 明治33年(1900年):喜三郎と[[澄子]](直の第五女)結婚。喜三郎は後に出口王仁三郎に名を改める。
* 明治33年(1900年):喜三郎と[[澄子]](直の第五女)結婚。喜三郎は後に出口王仁三郎に名を改める。