瑞泉苑

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
瑞泉苑。平成30年(2018年)12月撮影。
神聖歌碑(戦前)。
神聖歌碑(戦前)。

瑞泉苑(ずいせんえん)は、穴太(現在の亀岡市曽我部町穴太)の王仁三郎の生家(上田家)跡のこと。

概要

昭和8年(1933年)6月20日、王仁三郎の母・上田世祢が帰幽する。その後、生家は建物が取り壊され整備されることになった。

詳しい時期は不明だが、神勅により、穴太の郷は「瑞泉郷」、宮垣内の王仁三郎の生家跡は「瑞泉苑」と名付けられた。[1]

同年7月、久兵衛池玉の井)を整備するため周囲に石垣をめぐらし、従来の約6倍の広さに池を拡大した。そして11月2日に玉水殿(建坪65坪の神殿造り)の斧始式を行った。この時より玉の井の名称を「瑞泉苑」と改めることになった。玉水殿は昭和9年(1934年)4月20日、完成祭と大神の鎮座祭が執行された。8月16日には玉水殿の社務所(玉の井池の一端にまたがった建物)が完成し「水上館」と呼ばれた。[2]

昭和10年(1935年)2月7日には、石の宮の神聖神社が完成し鎮座祭が挙行された。→詳細は「神聖神社」を見よ

第二次大本事件で破壊された後は、昭和25年(1950年)8月から整備が始められた。[3]

略年表

  • 昭和8年(1933年)7月13日、久兵衛池拡張工事地鎮祭。
  • 同年11月2日、久兵衛池工事完成。玉水殿斧始式。
  • 昭和9年(1934年)4月20日、玉水殿竣成鎮座祭。
  • 同年5月11日、玉水殿の附属社務所地鎮祭。6月1日、上棟式。8月16日、竣工。「水上館」と命名。
  • 同年8月23日、神聖歌碑除幕式。(二基建立)
  • 同年9月23日、玉水殿に開祖様、生母様(上田世祢)鎮座祭。10月13日、生母の神名は「惟神明代毘女命」と命名。
  • 同年12月29日、石の宮神聖神社竣成。
  • 昭和10年(1935年)2月7日、石の宮神聖神社鎮座祭。王仁三郎臨席のもと、大吹雪の中で挙行する。
  • 同年3月30日、長久館遷座祭。
  • 同年4月8日、王仁三郎は水上館で「大本教旨」の文言の一部を改める。
  • 昭和11年(1936年)第二次大本事件により全て破却される。
  • 昭和25年(1950年)8月25日(旧7月12日)、瑞泉郷別院新設。
  • 昭和29年(1954年)8月11日、神聖歌碑再建。

〔この項は特記ある場合を除き「大本年表」をもとに作成した〕

ギャラリー

関連項目

脚注

  1. 玉鏡「瑞穂神霊」#、初出は『神の国』昭和8年10月号
  2. 大本七十年史 下巻』「神苑の造営と祭事#
  3. 大本七十年史 下巻』「造営と祭事#