「高姫」の版間の差分

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=== 高宮姫時代 ===
=== 高宮姫時代 ===
「高宮姫(たかみやひめ)」とは高姫の若い頃(18歳前後)の名前である。次の章の高姫の会話などの中で断片的に描かれている。ただし{{rm|51|9|鷹宮殿}}以降、[[第52巻]]にかけて高姫は(妖幻坊の魔法によって容姿が若返り)「高宮姫」と名乗っている。だがそれは実際の高宮姫時代のエピソードではないのでここでは触れない。
* {{rm|33|22|高宮姫}}
* {{rm|33|23|鉄鎚}}
* {{rm|39|12|種明志}}
* {{rm|51|8|曲輪城}}
ここに書いてあることを総合すると、次のような高宮姫の姿が見えてくる。
高宮姫は[[コーカス山]]の[[ウラル彦]]・[[ウラル姫]]の娘として生まれた<ref>{{rm|33|22|高宮姫}}:〈コーカス山に現れませる ウラルの彦やウラル姫 二人の中に生れたる 吾は高宮姫命〉</ref>。ウラル姫の〈最愛の娘〉<ref>{{rm|39|12|種明志}}:[[タール (人物)|]]のセリフ</ref>。三五教の宣伝使たち([[松竹梅の宣伝使]]や[[東彦]]、[[高彦]]など。{{rm|11|23|保食神}}参照)がコーカス山に現れ言霊戦を始めた。その時、[[大気津姫]](ウラル姫の別名)らは[[アーメニヤ]]へ逃げ帰った。高宮姫は〈御伴の神〉(おそらく[[香具耶彦]]のこと)を連れ、三五教の状況を探るため[[聖地エルサレム]]へ向かった。その途中すれ違った美青年に高姫は一目惚れし、〈御伴の神〉を捨てて、美青年の後を追った。その美青年が[[東助]]である。
高姫と東助は恋仲となり、[[黄金山]]で同棲する。やがて高姫は男の子を産み、「[[金太郎]]」と名付けた。2~3ヶ月経った頃、三五教の宣伝使・[[北光神]]が〈信仰調べ〉(素性調査か?)のために家にやって来た<ref>{{rm|33|22|高宮姫}}:〈北照神が現はれて 信仰調べを始めかけ〉</ref> <ref>{{rm|33|23|鉄鎚}}:〈北光彦の宣伝使 信仰調べを標榜し 吾身の素性を尋ねむと 吾庵をさして入り来る〉</ref>。
実は[[東助]]は高貴な家の息子である。東助は筑紫の国の国司・[[高照彦]]の三人息子の一人で、本名を「東野別(あずまのわけ)」という<ref>{{rm|33|23|鉄鎚}}:〈高照彦の珍の子と 生れ出でたる三人の 其一人となり出でし 吾は東野別神〉</ref>。高照彦は国祖・国常立尊の落胤<ref>{{rm|7|40|三人奇遇}}:〈私は熊公とは仮の名、国治立命の落胤、高照彦と申すもの、大神の御退隠後は八十熊別と名を変へてこの亜弗利加の原野に都を造り、時を待ちつつあつたものであります〉</ref>なので、東助は国祖の孫にあたる。東助は父の命令を受けて[[聖地エルサレム]]にやって来たのだが、その目的を忘れて女と同棲していた。しかも邪神のウラル姫の娘である。それが発覚してしまい恥ずかしさから、東助は高宮姫を捨てて家を出て行った<ref>{{rm|33|22|高宮姫}}:〈恋しき人は筑紫国 都に居ます神人の 尊き御子と見破られ 親の恥をば曝すのは 辛いと云つてあわて出し〉</ref> <ref>{{rm|33|23|鉄鎚}}:〈父の使命を忘却し 罪を重ねし吾なれば 女は不憫と思へども 見捨てて庵を遁走し〉</ref>。
東助に出て行かれ失意した高宮姫は、金太郎を四辻に捨ててしまう。その時に、「東」と「高」の印が刻まれた守り刀(東助が家を出る時、記念に残して行った)と、「金太郎」と名を書いた守り袋を添えておいた<ref>{{rm|33|21|峯の雲}}:〈幼名は 聞くも目出たき金太郎 吾身に添へたる綾錦 守袋に名を記し 守刀に真珠にて 十字の印を描き出し 鍔元篤と眺むれば 「東」と「高」の印あり〉</ref> <ref>{{rm|33|22|高宮姫}}:〈後に残つた一振の 守り刀に「東」の字 「高」の印を刻みたる 剣を記念と残しおき(略)守刀に綾錦 守袋に金太郎と 名をば書き添へ四辻に 不憫乍らも捨子して〉</ref>(この守り刀と守り袋が金太郎=[[建国別]]が高姫・東助の息子だという証拠となる)。
高宮姫は[[メソポタミヤ]]の[[顕恩郷]]へ行き、[[バラモン教]]をしばらく学んだ(大棟梁の[[鬼雲彦]]が支配していた時代)。しかし東助が忘れられず、[[三五教]]に入れば、いつか東助に会えるだろうと考えて、〈系統の身魂〉と偽り、[[フサの国]]で三五教を学んだ。だが[[スサノオ]]のやり方が気に入らず、ウラル教と三五教を合わせた「[[ウラナイ教]]」を[[北山村]]に設立した。<ref>{{rm|33|22|高宮姫}}:〈メソポタミヤの顕恩郷 バラモン教を探らむと〉~〈北山村に立籠り 教を開き居たりける〉</ref>
高宮姫がいつから「高姫」に名を変えたのかは分からないが、ウラナイ教の教主としては「高姫」である。東助は同棲時代に「高姫」とも呼んでいるので<ref>{{rm|33|22|高宮姫}}:〈コリヤ高姫よ高姫よ〉</ref>、「高宮姫」を略した愛称が「高姫」ではないかと思われる。


=== ウラナイ教時代 ===
=== ウラナイ教時代 ===