「第三次大本事件」の版間の差分
ページの作成:「{{kakikake}} '''第三次大本事件'''(だいさんじおおもとじけん)とは、1980年代に起きた大本教団の内紛である。三代教主・出口直日が教嗣(教主継承者)を変更したことに端を発し、教団執行部の方針に反対する二つの信徒グループが勃興した。執行部側は反対派の職員・信徒を教団から追放することで解決を図ろうとするが、追放された側か…」 |
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それに対して守る会では「自分たちは大本信徒である」という主張を一貫して続けた。 | それに対して守る会では「自分たちは大本信徒である」という主張を一貫して続けた。 | ||
平成2年(1990年)9月、三代教主・出口直日が昇天し、出口聖子が四代教主を継承する。追放された出口直美も四代教主継承を宣言したが、教団に戻ることは不可能だった。栄二が直美の教団復帰を目指して起こした訴訟はもはや意味がなくなり、栄二は訴訟を取り下げた。翌平成3年4月、守る会は「大本信徒連合会」となる。 | |||
いづとみづの会関係の2件の訴訟は昭和63年(1988年)9月と平成3年(1991年)4月に取り下げられ、第三次大本事件関係の訴訟3件はすべて終了した。 | いづとみづの会関係の2件の訴訟は昭和63年(1988年)9月と平成3年(1991年)4月に取り下げられ、第三次大本事件関係の訴訟3件はすべて終了した。 | ||
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内紛は信徒の間に信仰への失望や嫌悪を与え、信仰熱の低下や離教を招いた側面があったのと同時に、護教的信仰熱の高まりや教団改革への期待を与えたという側面もある。 | 内紛は信徒の間に信仰への失望や嫌悪を与え、信仰熱の低下や離教を招いた側面があったのと同時に、護教的信仰熱の高まりや教団改革への期待を与えたという側面もある。 | ||
執行部側につく信徒も、それに反対する二つの信徒グループも、いずれも自派を正当化するためではあるものの、教えの研鑽に励んだ。特に[[いづとみづの会]] | 執行部側につく信徒も、それに反対する二つの信徒グループも、いずれも自派を正当化するためではあるものの、教えの研鑽に励んだ。特に[[いづとみづの会]]は、それまで教団内でほとんど手つかずだった霊界物語の研鑽に努め、さまざまな知見を機関誌等で発表した。当時の大本教団執行部は[[出口日出麿]]の教示([[生きがい三部作]]など)を偏重しがちだったが、いづとみづの会では王仁三郎の教示を根幹に据えて教学を再構築し、そこから誕生した[[愛善苑 (1986)|愛善苑]]では、[[大本]]の[[二大教祖]]、[[二大教典]]を否定して、教祖は王仁三郎のみ、教典は霊界物語のみとした。 | ||
【社会への影響】 | 【社会への影響】 | ||
大本の内紛は教団外へもいろいろな影響を与えている。戦前二度の弾圧を喰らった教団が今度は内紛で揺れているというスキャンダルリズム的好奇心からジャーナリズムが飛びついたり、宗教団体の封建的体質に信徒が異議申し立てをしているという民主主義的観点から学者や社会活動家が注目したりした。『[[大地の母]] | 大本の内紛は教団外へもいろいろな影響を与えている。戦前二度の弾圧を喰らった教団が今度は内紛で揺れているというスキャンダルリズム的好奇心からジャーナリズムが飛びついたり、宗教団体の封建的体質に信徒が異議申し立てをしているという民主主義的観点から学者や社会活動家が注目したりした。『[[大地の母]]』の著者として教団外でも知名度が高い[[出口和明]]は、外部の団体から講演等に招かれることも多かった。 | ||
オニペディアの「[[雑誌記事一覧]]」に収集された情報<ref>主に大宅壮一文庫で採録した情報であり、主要な雑誌の記事はほとんど掲載されているはずである。</ref>によると、第三次大本事件前後の年代別記事件数は次のようになる。 | オニペディアの「[[雑誌記事一覧]]」に収集された情報<ref>主に大宅壮一文庫で採録した情報であり、主要な雑誌の記事はほとんど掲載されているはずである。</ref>によると、第三次大本事件前後の年代別記事件数は次のようになる。 | ||
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* 平成4年(1992年)から平成30年(2018年)までの26年間で47件(年1.8件) | * 平成4年(1992年)から平成30年(2018年)までの26年間で47件(年1.8件) | ||
つまり80年代の第三次大本事件の期間は、雑誌記事数が大きく増加していることが分かる。内紛という騒動が外部メディアで報道されることは信徒にとって恥ずかしいことであったが、それによって世間は大本を「再発見」したり、新たに王仁三郎という人物を知るきっかけにもなった。 | |||
【多様化】 | 【多様化】 | ||
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平成元年(1989年)に[[八幡書店]]、平成4年(1992年)に[[愛善世界社]]が霊界物語の刊行を開始した。どちらも、昭和62年(1987年)刊行開始の天声社[[修補版]]とは異なる発想で編纂されたものである。 | 平成元年(1989年)に[[八幡書店]]、平成4年(1992年)に[[愛善世界社]]が霊界物語の刊行を開始した。どちらも、昭和62年(1987年)刊行開始の天声社[[修補版]]とは異なる発想で編纂されたものである。 | ||
愛善世界社は大本信徒連合会の出版部門である。また、八幡書店の霊界物語は愛善苑の直接の出版物ではないものの、愛善苑側の出版物である。王仁三郎の著作権は1998年末まで有効だが、著作権を共有する出口家が分裂したことにより、天声社以外から霊界物語を出版することが可能となった<ref name="cyosakuken" />。 | |||
また、愛善苑側からは、入手困難な戦前の王仁三郎の著書が、復刻版として多数発行された。王仁三郎に関するさまざまな資料集も発行された。(発行元は「[[いづとみづ (出版社)|いづとみづ]]」や「[[あいぜん出版]]」。現在は「[[みいづ舎]]」) | |||
一方、愛善世界社からは[[大本神諭]]も刊行された。 | 一方、愛善世界社からは[[大本神諭]]も刊行された。 | ||
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書籍だけでなく、王仁三郎の肉声レコードをカセットテープやCDにしたものも、愛善世界社や愛善苑から頒布されている。 | 書籍だけでなく、王仁三郎の肉声レコードをカセットテープやCDにしたものも、愛善世界社や愛善苑から頒布されている。 | ||
これらの書籍等はいずれも内紛で組織が分裂しなかったら、世に出ることはなかった。現在の[[天声社]] | これらの書籍等はいずれも内紛で組織が分裂しなかったら、世に出ることはなかった。現在の[[天声社]]が扱わない出版物が、追放された信徒たちによって出版されたことになる。これはそれぞれの組織の経営方針が異なるからである。教団の経営権をめぐる紛争は最終的に組織分裂によってそれぞれの経営理念を追求することが可能になった。それは次に記すように、信仰者個人も、組織の方針に関わらず自由に宗教活動ができる状況になったことを意味する。 | ||
平成11年(1999年)に王仁三郎の著作権が消滅した後、平成15年(2003年)から非信徒の[[飯塚弘明]]が霊界物語等を電子化してインターネット上で公開するようになった。飯塚によると、仮に大本が分裂しておらず霊界物語がただ一つの宗教団体の教典という位置づけであったら、たとえ著作権法的に合法であったとしても、インターネットで公開するようなことはしていなかったという。一教団が専有している教典を部外者が出版するということは、たとえ合法でも心理的に行いづらく、分裂によって「王仁三郎が宗教団体から解放された」と感じたので、公開を決意したのだという。 | 平成11年(1999年)に王仁三郎の著作権が消滅した後、平成15年(2003年)から非信徒の[[飯塚弘明]]が霊界物語等を電子化してインターネット上で公開するようになった。飯塚によると、仮に大本が分裂しておらず霊界物語がただ一つの宗教団体の教典という位置づけであったら、たとえ著作権法的に合法であったとしても、インターネットで公開するようなことはしていなかったという。一教団が専有している教典を部外者が出版するということは、たとえ合法でも心理的に行いづらく、分裂によって「王仁三郎が宗教団体から解放された」と感じたので、公開を決意したのだという。 | ||
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== 略年表 == | == 略年表 == | ||
この年表は『[[大本略年表]]』『[[第三次大本事件の真相]] | この年表は『[[大本略年表]]』『[[第三次大本事件の真相]]』『[[大本年表]](まつのよ第6号付録)』を主な資料として作成した。 | ||
分裂後の出来事については、どのグループの出来事なのか区別が付くように、項目の頭に (連)守る会・大本信徒連合会 (愛)いづとみづの会・愛善苑 と入れた。 | |||
* 昭和21年(1946年)2月7日:大本は「[[愛善苑 (1946)|愛善苑]]」として新発足する。初代苑主・[[出口王仁三郎]]。 | * 昭和21年(1946年)2月7日:大本は「[[愛善苑 (1946)|愛善苑]]」として新発足する。初代苑主・[[出口王仁三郎]]。 | ||
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* 昭和27年(1952年) | * 昭和27年(1952年) | ||
** 3月31日:出口澄子昇天。 | ** 3月31日:出口澄子昇天。 | ||
** 4月1日:「[[大本]]」に改称。三代教主・[[出口直日]]。[[総長]]・[[ | ** 4月1日:「[[大本]]」に改称。三代教主・[[出口直日]]。[[総長]]・[[出口伊佐男]](宇知麿)。 | ||
* 昭和33年(1958年) | * 昭和33年(1958年) | ||
** 4月:[[出口栄二]]が[[大本総長]]に就任。 | ** 4月:[[出口栄二]]が[[大本総長]]に就任。 | ||
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** 10月:出口和明著『大地の母』毎日新聞社から発刊。 | ** 10月:出口和明著『大地の母』毎日新聞社から発刊。 | ||
** 12月:出口直美が四代教主継承者に決定される。 | ** 12月:出口直美が四代教主継承者に決定される。 | ||
昭和51年(1976年) | * 昭和51年(1976年) | ||
** 3月:総長制が復活。[[出口京太郎]]が総長に就任。 | |||
* 昭和55年(1980年) | * 昭和55年(1980年) | ||
** 3月10日:[[出口和明]]等が「[[いづとみづの会]]」設立<ref>「株式会社いづとみづの会」設立登記。</ref>。機関誌『[[いづとみづ (機関誌)|いづとみづ]]』創刊。 | ** 3月10日:[[出口和明]]等が「[[いづとみづの会]]」設立<ref>「株式会社いづとみづの会」設立登記。</ref>。機関誌『[[いづとみづ (機関誌)|いづとみづ]]』創刊。 | ||
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** 11月2日:出口直美への建物明け渡し訴訟の最高裁判決が出る。上告棄却。<ref name="o347" /> | ** 11月2日:出口直美への建物明け渡し訴訟の最高裁判決が出る。上告棄却。<ref name="o347" /> | ||
== | == 予言 == | ||
* 王仁三郎は第二次事件の保釈出所後に「大本事件は松竹梅事件だ。第三次は竹だ」と言って、三度目の事件があることを予言していた。[[第一次大本事件]]は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]で王仁三郎は検挙された。[[第二次大本事件]]は島根の[[松江別院]] | * 王仁三郎は第二次事件の保釈出所後に「大本事件は松竹梅事件だ。第三次は竹だ」と言って、三度目の事件があることを予言していた。[[第一次大本事件]]は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]で王仁三郎は検挙された。[[第二次大本事件]]は島根の[[松江別院]]で王仁三郎は検挙された。第三次大本事件は兵庫県の竹田に新たに[[主会]](地方機関)を作ろうとして火がついた<ref>昭和55年(1980年)に執行部側で、三丹主会から分離独立して「宮垣主会」を作ろうとしたことが、反執行部側で問題視された。結局同年8月7日に宮垣分苑が設立された。</ref>。<ref>[https://www.omt.gr.jp/o40 三度目の事件] - 大本信徒連合会公式サイト</ref> <ref>『[[第三次大本事件の真相]]』214頁</ref> | ||
== 主な参考文献 == | == 主な参考文献 == | ||