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海の竜宮
,'''海の竜宮'''(うみのりゅうぐう)は、
# [[霊界物語]]に登場する宮・城。[[竜宮島 (豪大陸)|竜宮島]]の付近([[竜宮海 (竜宮島)|竜宮海]])の海底にあると思われる<ref>場所は明記されていないが、竜宮海にあるのだろうと推測される。</ref>。
# 霊界物語[[第8巻第11章]]の章題。
本項では海底にあるお宮としての海の竜宮について解説する。
----
== 概要 ==
* 表記ゆれ:海底竜宮城
* 初出:{{rm|8|11|海の竜宮}}
* 一般に「竜宮」は海にあるが、[[大本神諭]]で、[[綾部の大本]]の[[竜宮館]]を「[[陸の竜宮]]」と呼んだので、それに対して海にある竜宮をわざわざ「海」を付けて「海の竜宮」と呼んだのではないかと思われる。<ref>大本神諭で最初に「陸の竜宮」という言葉が出るのは{{os|065|明治32年旧7月(日不明)}}で、「海の竜宮」が出るのは{{os|051|大正4年旧11月6日}}。</ref>
== 主なエピソード ==
[[日の出神]]は[[朝日丸]]に乗って[[筑紫島]]から[[高砂島]]の[[テルの都]]へ向かっていたが、乗客の話から、筑紫島から[[天教山]]に向かった[[面那芸司]](第7巻で日の出神と行動を共にしていた)が乗った船が沈没したということを知り、面那芸司を救うために海に飛び込み、[[巨大な亀]]([[琴平別神]]の化身)の背に乗って海を進んで行く。〔{{rm|8|4|烏の妻}}~{{rms|8|5|三人世の元}}〕
そして海底(海底とは遠島の譬え{{rm|8|12|身代り||a064}})を沈んで行き、海の竜宮に着くと、[[正鹿山津見]](旧名・[[桃上彦]])と[[淤縢山津見]](旧名・[[醜国別]])が門番として守っていた。二人はそれぞれ自分の来歴を日の出神に話す。奥殿では[[伊弉冊命]](日の出神の母神)が[[八種の雷神]]によって攻撃されていた。そこへ[[乙米姫命]]が現れ、自分が伊弉冊命の身代わりとなると申し出る。八種の雷神が乙米姫命を攻撃している間に、日の出神は伊弉冊命を救い出し、面那芸司、正鹿山津見、淤縢山津見と共に、巨大な亀の背に乗って海面に出た。そして[[常世の国]]の[[ロッキー山]]に伊弉冊命を送った。その後、海の竜宮は体主霊従、弱肉強食の修羅場と化し、ついに[[黄泉比良坂の戦い]]を勃発することとなった。〔{{rm|8|11|海の竜宮}}~{{rms|8|12|身代り}}〕
=== 伊弉冊命による牽制的経綸 ===
[[伊弉冊命]]がなぜ海の竜宮に居たのかは、{{rm|8|24|盲目審神}}章末の「附言」に記されている。もともと伊弉冊命は天教山に居たが、曲津神らが[[黄泉国]]([[黄泉島]])から[[葦原の瑞穂国]]([[自転倒島]])を攻撃しようとしていたため、伊弉冊命は黄泉国に出向いて、曲津神を黄泉国に封じた。しかし曲津神は海の竜宮に居所を変えて、再び葦原の瑞穂国を攻撃しようたくらんだため、伊弉冊命は海の竜宮へ出向き、曲津神([[八種の雷神]])を自分に惹き付けて「牽制的経綸」を行ったのである。そして[[乙米姫命]]を身代わりにして曲津神を海の竜宮に封じておき、自分は[[日の出神]]に助けられ[[ロッキー山]]に向かった。しかしそれはそのように宣言しただけで、実際にはロッキー山には行かず、日の出神・面那芸司と共にひそかに天教山に帰った。それは水も漏らさぬ御経綸であり、その結果、偽伊弉冊命([[大国姫]])と偽日の出神([[大国彦]])がロッキー山に出現することとなった。→詳細は「[[黄泉比良坂の戦い]]」を見よ
== 沓島 ==
『[[大地の母]]』では、王仁三郎のセリフとして、[[沓島]]を海の竜宮に喩えている箇所がある。
{{Inyou|竜宮というのはたとえなんや。世の元の正真の神が艮の孤島に押し込められていた。その神々を世にお出ししたのが三十三年の冠島開き、沓島開きや。筆先では、竜宮の入口が冠島、[[竜宮海 (沓島冠島)|竜宮海]]をへだてた沓島が竜宮と教えられとる。つまり、陸の竜宮が大本の竜門館なら、海の竜宮が沓島や。|『大地の母 第8巻』「{{obc|B138908c13|椿の寝床|a0361|a0370}}」}} <ref>この引用文に出て来た筆先とはどの筆先か不明だが、大本神諭に次の一節がある。{{os|142|明治40年旧7月11日}}:「艮之金神国常立尊が現はれて守護致すには、元を造へた神代の活神は、沓島の山へ落ちて居りたぞよ。力量のある、'''元の肉体のある活神(注・国常立尊のこと)は、沓島に住居を致して居りて'''蔭からの守護で居りたなり、竜宮の乙姫殿は海の底の御住居で在りたなり、'''冠島が竜宮の入口で在る'''と云ふ事を、出口直に、初めて冠島へ参拝を致した折に申してあるが、明治三十三年に沓島が開かしてあるのはこれから分るぞよ。(略)'''竜宮は冠島から沓島の荒海が乙姫殿の御住居所'''、海の御守護は、乙姫殿が御大将であるぞよ」。これは沓島が「海の竜宮」というよりは、冠島と沓島の間の海(竜宮海)が乙姫殿が住まう「海の竜宮」だということではないか?</ref>
== 脚注 ==
<references/>
{{デフォルトソート:うみのりゆうくう}}
[[Category:霊界物語の章題]]
[[Category:霊界物語の宮]]
# [[霊界物語]]に登場する宮・城。[[竜宮島 (豪大陸)|竜宮島]]の付近([[竜宮海 (竜宮島)|竜宮海]])の海底にあると思われる<ref>場所は明記されていないが、竜宮海にあるのだろうと推測される。</ref>。
# 霊界物語[[第8巻第11章]]の章題。
本項では海底にあるお宮としての海の竜宮について解説する。
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== 概要 ==
* 表記ゆれ:海底竜宮城
* 初出:{{rm|8|11|海の竜宮}}
* 一般に「竜宮」は海にあるが、[[大本神諭]]で、[[綾部の大本]]の[[竜宮館]]を「[[陸の竜宮]]」と呼んだので、それに対して海にある竜宮をわざわざ「海」を付けて「海の竜宮」と呼んだのではないかと思われる。<ref>大本神諭で最初に「陸の竜宮」という言葉が出るのは{{os|065|明治32年旧7月(日不明)}}で、「海の竜宮」が出るのは{{os|051|大正4年旧11月6日}}。</ref>
== 主なエピソード ==
[[日の出神]]は[[朝日丸]]に乗って[[筑紫島]]から[[高砂島]]の[[テルの都]]へ向かっていたが、乗客の話から、筑紫島から[[天教山]]に向かった[[面那芸司]](第7巻で日の出神と行動を共にしていた)が乗った船が沈没したということを知り、面那芸司を救うために海に飛び込み、[[巨大な亀]]([[琴平別神]]の化身)の背に乗って海を進んで行く。〔{{rm|8|4|烏の妻}}~{{rms|8|5|三人世の元}}〕
そして海底(海底とは遠島の譬え{{rm|8|12|身代り||a064}})を沈んで行き、海の竜宮に着くと、[[正鹿山津見]](旧名・[[桃上彦]])と[[淤縢山津見]](旧名・[[醜国別]])が門番として守っていた。二人はそれぞれ自分の来歴を日の出神に話す。奥殿では[[伊弉冊命]](日の出神の母神)が[[八種の雷神]]によって攻撃されていた。そこへ[[乙米姫命]]が現れ、自分が伊弉冊命の身代わりとなると申し出る。八種の雷神が乙米姫命を攻撃している間に、日の出神は伊弉冊命を救い出し、面那芸司、正鹿山津見、淤縢山津見と共に、巨大な亀の背に乗って海面に出た。そして[[常世の国]]の[[ロッキー山]]に伊弉冊命を送った。その後、海の竜宮は体主霊従、弱肉強食の修羅場と化し、ついに[[黄泉比良坂の戦い]]を勃発することとなった。〔{{rm|8|11|海の竜宮}}~{{rms|8|12|身代り}}〕
=== 伊弉冊命による牽制的経綸 ===
[[伊弉冊命]]がなぜ海の竜宮に居たのかは、{{rm|8|24|盲目審神}}章末の「附言」に記されている。もともと伊弉冊命は天教山に居たが、曲津神らが[[黄泉国]]([[黄泉島]])から[[葦原の瑞穂国]]([[自転倒島]])を攻撃しようとしていたため、伊弉冊命は黄泉国に出向いて、曲津神を黄泉国に封じた。しかし曲津神は海の竜宮に居所を変えて、再び葦原の瑞穂国を攻撃しようたくらんだため、伊弉冊命は海の竜宮へ出向き、曲津神([[八種の雷神]])を自分に惹き付けて「牽制的経綸」を行ったのである。そして[[乙米姫命]]を身代わりにして曲津神を海の竜宮に封じておき、自分は[[日の出神]]に助けられ[[ロッキー山]]に向かった。しかしそれはそのように宣言しただけで、実際にはロッキー山には行かず、日の出神・面那芸司と共にひそかに天教山に帰った。それは水も漏らさぬ御経綸であり、その結果、偽伊弉冊命([[大国姫]])と偽日の出神([[大国彦]])がロッキー山に出現することとなった。→詳細は「[[黄泉比良坂の戦い]]」を見よ
== 沓島 ==
『[[大地の母]]』では、王仁三郎のセリフとして、[[沓島]]を海の竜宮に喩えている箇所がある。
{{Inyou|竜宮というのはたとえなんや。世の元の正真の神が艮の孤島に押し込められていた。その神々を世にお出ししたのが三十三年の冠島開き、沓島開きや。筆先では、竜宮の入口が冠島、[[竜宮海 (沓島冠島)|竜宮海]]をへだてた沓島が竜宮と教えられとる。つまり、陸の竜宮が大本の竜門館なら、海の竜宮が沓島や。|『大地の母 第8巻』「{{obc|B138908c13|椿の寝床|a0361|a0370}}」}} <ref>この引用文に出て来た筆先とはどの筆先か不明だが、大本神諭に次の一節がある。{{os|142|明治40年旧7月11日}}:「艮之金神国常立尊が現はれて守護致すには、元を造へた神代の活神は、沓島の山へ落ちて居りたぞよ。力量のある、'''元の肉体のある活神(注・国常立尊のこと)は、沓島に住居を致して居りて'''蔭からの守護で居りたなり、竜宮の乙姫殿は海の底の御住居で在りたなり、'''冠島が竜宮の入口で在る'''と云ふ事を、出口直に、初めて冠島へ参拝を致した折に申してあるが、明治三十三年に沓島が開かしてあるのはこれから分るぞよ。(略)'''竜宮は冠島から沓島の荒海が乙姫殿の御住居所'''、海の御守護は、乙姫殿が御大将であるぞよ」。これは沓島が「海の竜宮」というよりは、冠島と沓島の間の海(竜宮海)が乙姫殿が住まう「海の竜宮」だということではないか?</ref>
== 脚注 ==
<references/>
{{デフォルトソート:うみのりゆうくう}}
[[Category:霊界物語の章題]]
[[Category:霊界物語の宮]]