正鹿山津見
正鹿山津見(まさかやまづみ)は、霊界物語に登場する人物。第五代天使長の桃上彦(ももがみひこ)が大洪水後に改名した。海の竜宮で門番をしていたが、日の出神に助けられ、ウヅの国の守護職となる。
概要
- 表記ゆれ:桃上彦命(天使長としては「命」が付いて「桃上彦命」と表記されている場合が多い[1]) / 正鹿山津見神、正鹿山津見司
- 初出:第3巻第47章「夫婦の大道」#(桃上彦)、第8巻第11章「海の竜宮」#(正鹿山津見)(これ以降も「桃上彦」と呼ばれる場合がある)
- 主に第3~4巻と第8~9巻に登場する。
- 父は春永彦。母は事足姫。
- 広宗彦(第四代天使長)と行成彦は異父兄。事足姫の最初の夫である真心彦(第三代天使長・沢田彦命の配下の天使)との間に生まれたのが広宗彦と行成彦。真心彦の帰幽後、春永彦と再婚し、生まれたのが桃上彦。
- 妻(名前は不明)は病死した(天使長時代に亡くなったようである)[2]。この妻との間に松代姫、竹野姫、梅ケ香姫という三人の娘(→松竹梅の宣伝使)がいる。
- ウヅの国の守護職になった後、宣伝使の五月姫と再婚をする〔第8巻第38章「華燭の典」#〕。
主なエピソード(桃上彦)
桃上彦は仁慈が深く、民衆の評判もよいため、長兄の広宗彦(このときは第三代天使長・沢田彦命の配下の天使。もともと広宗彦の父・真心彦が天使だったが、精神に異常を来して自殺したため、長男の広宗彦が後を継いだ[3])は自分の副役として神務を輔佐させた。しかし善良だった桃上彦は、魔神に誑惑されて次第に悪化し、増長して、傍若無人な行動を取るようになり、とうとう兄を排除して自分が天使になってやろうという野望を持つようになった。〔第3巻第47章「夫婦の大道」#~第48章「常夜の闇」#〕
第三代天使長・沢田彦命が天に帰ってしまい[4]、その後、広宗彦が第四代天使長に就任した[5]。常世会議に次兄の行成彦が出席した。会議終了後、聖地エルサレムで、桃上彦は常世姫に、行成彦らの常世会議での天則違反の行動を聞かされる。野心家の桃上彦はかねてより自分が天使長に就こうと企てていたが[6]、その話を聞いて常世姫と共に兄二人を排除しようと企む。国祖は常世彦から報告を受け、会議攪乱の首謀者である大道別を叱責した。広宗彦は責任を負い、天使長を辞職し、桃上彦に職を譲った。〔第4巻第29章「月雪花」#~第32章「免れぬ道」#〕
こうして桃上彦は第五代天使長に就任した。配下の天使には竜山別、八十猛彦、百猛彦、鷹住別の4人が任じられた[7]。桃上彦は天使長就任祝賀会で国祖の慈愛を見せられ[8]、心を改めて神政に取り組んだが、やがてまた慢心し、神政は混乱して来た。常世城から常世彦が、聖地の惨状を救うために、各地の八王神を率いて天の磐樟船に乗って飛んできた。それを見た桃上彦は、常世彦が反逆して聖地を占領に来たのだと思い込む。桃上彦は国祖に聖地の混乱を叱責され、天使長を辞職した。〔第4巻第33章「至仁至愛」#~第36章「天地開明」#〕
その後、桃上彦は3人の娘を聖地エルサレムに残し、一つ島(竜宮島のこと[9])に渡る途中で暴風に遭って船(高砂丸)が転覆。琴平別(大きな亀)に救われて竜宮城(海の竜宮)に至り、門番となった[10]。(別に箇所には、根の国底の国に落ちるところを高照姫神に救われた、と書いてある[11])
主なエピソード(正鹿山津見)
日の出神は面那芸司が乗った船が沈没したと聞いて身を案じ、大きな亀(琴平別神)に乗って海の竜宮にやって来た。そこで門番をしていた正鹿山津見(桃上彦)と淤縢山津見(醜国別)に出会う。日の出神は邪神に攻撃されていた伊弉冊命と、面那芸司・正鹿山津見・淤縢山津見を連れて海の竜宮から脱出した。〔第8巻第12章「身代り」#~第13章「修羅場」#〕
正鹿山津見は淤縢山津見と共に日の出神に伴われヒルの都に行き、清彦・蚊々虎の前に現れる。〔第8巻第14章「秘露の邂逅」#〕
その後は一人で珍山峠を越え、ハルの都(ハルの国は大自在天大国彦の宰相の鷹取別が支配している)で宣伝をしていたところ、数百の駱駝隊(鷹取別の部下[12])に捕まり、砂漠の中に葬られた。砂を掻き分けて這い上がり、夜のうちにハルの都を逃げ出し、珍山峠の谷間にある天然の温泉に通って傷を癒やしていた[13]。湯でのぼせ上がり精神喪失して倒れてしまった。そこへ駒山彦・蚊々虎・淤縢山津見・五月姫の4人の宣伝使一行(ウヅの国へ向かう途中)が通りがかり、助けてくれた。正鹿山津見は日の出神に「ウヅの国を守れ」と命じられた(つまり守護職を任じられた)のだが、他に尊い国があるのではと思いハルの国に宣伝に行ってしまったのだった。正鹿山津見は「我を出すことは出来ぬ」と改心する。[14] 〔第8巻第30章「珍山峠」#~第35章「一二三世」#〕
一行5人はウヅの都へ向かう。途中の大蛇峠で大蛇の背中に乗せてもらい山を一気に下りる。(ここで蚊々虎は珍山彦に改名する)。〔第8巻第36章「大蛇の背」#~第37章「珍山彦」#〕
一行はウヅの都の正鹿山津見の館に到着する。蚊々虎の提案で、正鹿山津見は五月姫と結婚することになった。その結婚式の直会の最中に、父を探して聖地エルサレムからやって来た松竹梅の三姉妹が館に現れ、父子は再会を果たした。〔第8巻第38章「華燭の典」#、第9巻第9章「鴛鴦の衾」#~第11章「蓬莱山」#〕
松竹梅の三姉妹は宣伝使になって、淤縢山津見らと一緒に旅立つ。〔第9巻第12章「鹿島立」#〕
この後は正鹿山津見はほとんど登場しない。第10巻の黄泉比良坂の戦いでは神軍の左翼の部将になっている[15]。
第12巻の黄泉島が沈没する際には、天の磐樟船に乗り、祝部神を助けに行っている。[16]
第30~33巻や第69巻でウヅの国が舞台になるが、正鹿山津見の帰幽後の話である。第33巻第14章「魂の洗濯」#には、正鹿山津見がウヅの都の館に現れたのは30年前だと書いてある[17]。
伊都能売神諭
伊都能売神諭 大正8年3月8日#の筆に桃上彦命のことが出て来る。桃上彦命にまつわるストーリーは霊界物語とほぼ同じである。
日本神話
日本神話では、イザナギがカグツチ(火の神)を斬った時に生まれた16柱の神々の中に正鹿山津見神がいる。
8柱いる「山津見神」の筆頭で、カグツチの頭から生まれた。
- 古事記と霊界物語の神名対照
- <wp>カグツチ</wp>
霊界物語の古事記言霊解では、第8巻第40章「言霊解二」#に記されている。
脚注
- ↑ 御校正本を見ると、桃上彦の天使長時代のエピソードである第4巻第35章「頭上の冷水」#は「桃上彦命」だが、他の章では「命」が削除され「桃上彦」になっている場合が多い。
- ↑ 第8巻第38章「華燭の典」#:「地の高天原は為に混乱紛糾の極に陥り、その妻は病死し、自分は常世彦、常世姫のために、或一時の失敗より追放され」:追放前に病死しているので、つまり天使長時代に亡くなったようである。
- ↑ 第3巻第47章「夫婦の大道」#
- ↑ 第3巻第49章「袖手傍観」#
- ↑ いつ就任したのかははっきり書いていない。
- ↑ 第4巻第32章「免れぬ道」#:「桃上彦は天使長広宗彦命の副となりて、神政を補佐し居たりしなるが、つひには兄二柱の愛を忘れ、みづから代つて天使長の聖職に就かむと企て居たるなり。このとき常世姫の来城せるを奇貨とし、たがひに心を合せて兄二柱を排除せむと考へたりける」
- ↑ 第4巻第34章「紫陽花」#:「国治立命は儼然として正座に直り、言葉をあらためて桃上彦を天使長に任じ、竜山別、八十猛彦、百猛彦、鷹住別を聖地の天使の職に命じ」
- ↑ 第4巻第33章「至仁至愛」#
- ↑ 第9巻第10章「言葉の車」#:「浪に浮べる一つ島 竜宮の島に渡らむと 高砂丸に身をまかせ」
- ↑ 第8巻第38章「華燭の典」#:「正鹿山津見は、聖地ヱルサレムの天使長であつた桃上彦命である。兄広宗彦命、行成彦命の神政を奪ひ、体主霊従の限りを尽し、地の高天原は為に混乱紛糾の極に陥り、その妻は病死し、自分は常世彦、常世姫のために、或一時の失敗より追放され、三人の娘を後に残して住み慣れし都を後に、一つ島に進む折しも、暴風に逢ひ船は忽ち顛覆し、琴平別の亀に救はれ竜宮城にいたり、門番となり果てし折しも、日の出神に救はれ、この珍の都の守護職となれるなり」
- ↑ 第8巻第11章「海の竜宮」#:正鹿山津見のセリフ「八百万の神人に神退ひに退はれ、根の国、底の国に落ち行かむとする時しも、慈愛深き高照姫神に救はれ、今は竜宮城の門番を勤むる卑しき身の上」
- ↑ 第9巻第10章「言葉の車」#:「威勢も高き鷹取別の 醜の軍の戦士が 鋭き槍の錆となり 沙漠の中に埋められて」
- ↑ この話は第8巻第31章「谷間の温泉」#の淤縢山津見のセリフの中で語られている。
- ↑ 第8巻第32章「朝の紅顔」#:正鹿山津見のセリフ「私は日の出神様に、「珍の国を守れよ」との厳命を受けました。然しながら、まだ外に尊い国がある様に思へて、何うしても気が落ちつかず、この峠をドンドンと登つて、夜を日に次いで巴留の都へ宣伝に行つたのです。さうした処が、今度は神様の戒めだと見えて、散々な目に逢ひ、お蔭で生命だけは助かりました。これを思へば、吾々は我を出すことは出来ませぬ。ただ長上の命令に従つて、神妙にお勤めするに限ると、ほとほと改心いたしました」
- ↑ 第10巻第21章「桃の実」#:「左翼の軍隊には正鹿山津見神、駒山彦、右翼には奥山津見神、志芸山津見神を部将とし」
- ↑ 第12巻第27章「航空船」#
- ↑ 第33巻第14章「魂の洗濯」#:テーリスタンの歌「テル山峠の頂上は 今を去ること一昔 昔と云つても三十年だ 正鹿山津見神さまが 五月の姫と諸共に ウヅの館にましまして 教を開き民を撫で」