顕恩郷
顕恩郷(けんおんきょう)は、
本項では国としての顕恩郷について解説する。
目次
概要
- 表記ゆれ:顕恩の郷、顕恩の里、顕恩の城、顕恩城
- 旧名:川北郷(せんほくきょう)[1] 改名の理由は、親子夫婦が対面し神恩を感謝したことによる。下の「エピソード (1)」を参照。
- 「めぐみのさと」とルビが振られているケースが2ヶ所ある。[2]
- 初出:第5巻第5章「盲亀の浮木」#
- 東・北・西には山があり(北に高山、東西に低い山[3])、蹄鉄のような地勢で、南には大河(エデン河)がある。麗しい花が咲き乱れ、珍しい果物が木々に実った楽園郷。衣食住の苦痛を少しも感じない天国浄土のようであった。[4]
- この地の神人らは頭が横に長く丈が短く、ちょうど蟹のような顔をしている。背が比較的低く、身体矮小で容貌醜悪。[4]
- エデン河を挟み、北岸に顕恩郷が、南岸に橙園郷がある。[5]
エピソード概略
顕恩郷が舞台となるのは5回あり、大洪水前、大洪水後、38万年後の3つに大別することが出来る。
- 大洪水前
- 大洪水後
- 38万年後
大洪水前
住民
エピソード (1)
常治彦(常世彦の息子)、塩治姫(塩長彦の娘)、玉春姫(常世彦の娘)の三人は、大きな亀の背に跨がり、エデン河を下り、顕恩郷に上陸した。住民たちはウローウローと叫んで歓迎した。顕恩郷には昔から、角の生えた神が降臨して天変地妖を防ぎ万年の寿命を守るという伝説が伝わっていた。常治彦の頭に角が生えているのを見て、誠の神と信じた。神輿に常治彦を乗せ、東北の山に運び、円柱を立てたような超円形の棒岩の上に神輿もろとも安置された。〔第5巻第5章「盲亀の浮木」#〕
塩治姫は実は春日姫で、玉春姫は実は八島姫だった。二人は南天王の宮殿に仕えた。南天王のはからいで、春日姫と鷹住別、そして八島姫と玉純彦の二組は結婚式を挙げる。そのとき八島姫の父・大島別もその場にいた。親子夫婦が対面し、神恩を感謝した。そのことにより、今まで「川北郷」と呼んでいたのを、顕恩郷と改名した。玉純彦・八島姫・大島別は夜ひそかに南高山に帰ったが、白狐の旭が八島姫に変じて南天王の側に仕えた。南天王は大王の位をわが子・鷹住別に譲り、自分は何処ともなく神界経綸の神業に出てしまった。棒岩の上に安置された常治彦は、愛する塩治姫(実は春日姫)が鷹住別と夫婦となって睦まじそうにしているのを見て、悔しがり、神輿の中を前後左右に暴れ回った。すると神輿もろとも谷間に転落してしまった。〔第5巻第6章「南天王」#~第7章「三拍子」#〕
谷間に落ちた常治彦の角は根本から抜けてしまう。鷹住別・春日姫を石を投げつけようとするが、石地蔵のように体が硬直してしまった。このとき頭に二本の角が生えた神が天から降りて来た。彼は鬼武彦の化身であった。鬼武彦は常治彦の体を掴んでエデン河に投げ飛ばす。常治彦は南岸に這い上り、山々の谷間を目がけて走って行った。鬼武彦は棒岩の上に安坐して石像と化す。住民はこの石像を神と崇拝した。これより顕恩郷は大洪水のときまで安全地帯であった。〔第5巻第8章「顕恩郷」#〕
エピソード (2)
エデン河を挟んで顕恩郷の対岸(南側)にある橙園郷は、ここ数年天候が悪く飢餓の惨状にあった。橙園郷の桃園王はエデン河を渡り顕恩郷を占領しようとした。顕恩郷の住民は蟹面であるのに対して、橙園郷の住民は猿顔だった。襲撃され、南天王(鷹住別)は山奥に逃げた。鬼武彦の石像は光を発して敵軍に向かって放射する。敵の頭髪と全身の毛は焼けそうになり、谷川に頭を突っ込んだ。顕恩郷の住民は通力で巨大な蟹と変じて、左右のハサミで敵の頭を切り取ろうとした。桃園王は退却を命じ、敵は河を渡って橙園郷に逃げ帰ろうとしたが、河中で巨大な蟹が足を切り千切り、過半は南岸に着いたが、残りは滅ぼされた。これより橙園郷の住民は顕恩郷を襲撃するのをやめた。逃げた南天王は住民の信任を失い、夫婦でモスコーに逃げ帰った。〔第5巻第20章「猿蟹合戦」#〕
蟹若が南天王の後任に選ばれた。住民たちは棒岩の上の鬼武彦の石神像に向かって真正の天津神が降臨することを祈願した。すると石神像そっくりの生神(鬼武彦)が空から現れた。大江神と改名して、予言警告を与えるために出現したのだった。大江神は「天地の大神の至仁至愛の大御心を察知し奉り、地広く果実多きこの顕恩郷をして汝ら神人らの独占することなく、橙園郷の住民の移住を許し、相ともに天恵の深きを感謝せよ」と説示する。住民はこれを聞いて天地の神意を悟った。そして橙園郷の住民は全員顕恩郷に移住し、人口は三倍になり、両郷の種族は相親しみ相愛して、ここに小天国は建設された。〔第5巻第21章「小天国」#〕
大江神は神王となり、蟹若が左守となり、桃園王は右守となった。大江神の指示で333艘の方舟を造り、果物や家畜、草木の種を満載した。顕恩郷の東北隅の棒岩は唸りを立てて前後左右に回転をし、鬼武彦の石像は天に向かって延長した。これを「天の逆鉾」と呼ぶ。大洪水が起きた時、顕恩郷の神人らは全員方舟に乗りヒマラヤ山に難を避け、二度目の人間の祖となった。そのためある人種は顕恩郷の神人の血統を受け、その容貌を今に伝えている人種がある。現代の科学者が、人間は猿が進化したものと言うのも無理はない。また蟹面の神人の子孫も世界の各所に残存する。頭部が短く面部が平たい人種にその血統が伝わっている。〔第5巻第22章「神示の方舟」#〕
大洪水後
住民
- 鳶彦、田加彦、百舌彦:顕恩郷の東南を流れる渡場の関所を守る門番。
- 鬼雲彦:顕恩郷の大将。大棟梁。
- 鬼雲姫:鬼雲彦の妻。
- 愛子姫、幾代姫、五十子姫、梅子姫、英子姫、菊子姫、君子姫、末子姫:顕恩郷に潜入していた八人乙女。
- 浅子姫、岩子姫、今子姫、宇豆姫、悦子姫、岸子姫、清子姫、捨子姫:八人乙女の侍女。
以下はエピソード (4)で登場。
エピソード (3)
メソポタミヤの顕恩郷は、バラモン教の根拠地と化していた。神素盞嗚大神の命により、三五教の宣伝使・太玉命は安彦、国彦、道彦を連れて、顕恩郷に宣伝に向かう。顕恩郷の東南を流れる渡場から船に乗るが、敵の矢が雨のように射られ、船は河中の岩石に衝突して粉砕してしまう。太玉命は向こう岸に泳ぎ着いたが、安彦ら3人は濁流に呑まれ行方不明になる。太玉命は一人で顕恩郷に乗り込んだ。〔第15巻第1章「破羅門」#~第2章「途上の変」#〕
半ダース宣伝使の6人が加勢に現れ、7人で顕恩城に入る。鬼雲彦夫妻が現れ、7人を歓待し、食事を振る舞い、16人の美女が舞曲を演じる。すると食事に毒が入っており、一緒に食べていた城の上役数十人はみな苦しみ出す。7人も苦しい振りをした。鬼雲彦が毒を入れておいたのだと高笑いする。その時、16人の美女たちが懐剣を抜いて鬼雲彦夫妻を取り囲んだ。彼女たち(八人乙女とその侍女)は神素盞嗚大神の密使で、密かに鬼雲彦の身辺に仕え、時機を窺っていたのだ。鬼雲彦夫妻は高殿から堀を目がけて飛び込むと二匹の恐ろしい大蛇となって空中を泳ぐように姿を隠した。妙音菩薩が現れて、太玉命は本城に留まり、愛子姫と浅子姫は太玉命の身辺を保護し、他の宣伝使や女たちはエデン河を渡りイヅ河へ向かえと命じる。顕恩郷は三五教を奉じ、再び元の天国を形成した。〔第15巻第3章「十六花」#~第4章「神の栄光」#〕
天照大神が天の岩戸に隠れた後、太玉命は天教山に登った。不在を愛子姫・浅子姫が守っていたが、鬼雲彦が戻って来て顕恩郷を襲ったため、二人は顕恩郷から逃げた。〔第15巻第16章「水上の影」#〕[6]
エピソード (4)
鬼雲彦が顕恩郷を支配していた時(太玉命が来る以前だと思われる)のエピソード──。鬼熊別の部下の友彦は、鬼熊別の娘の小糸姫を手に入れて、自分が鬼熊別の後継者(副棟梁)になり、あわよくば鬼雲彦の地位(大棟梁)を奪おうという野心を持っていた。エデン河で酒宴が催された時、船から落ちた小糸姫を助けて、鬼熊別夫妻の信任を得る。小糸姫と親しい仲となるが、鬼熊別は友彦の下劣な品性と野卑な面貌は副棟梁に不適任と思い、二人の結婚を許さなかった。友彦と小糸姫は将来を案じて、顕恩郷を脱け出し、シロの国へ隠れてしまう。〔第24巻第1章「粉骨砕身」#~第2章「唖呍」#〕
38万年後
エピソード (5)
言依別命の一行4人(言依別命、玉彦、厳彦、楠彦)は、松彦に案内され第一天国を旅する。湖の彼方に松が生い茂る一つの島があり、松彦は「あの島は38万年前、顕恩郷と称えられていた楽園だった。大地の傾斜が元に復してから、今は低地は残らず湖となり、高山の頂きのみ頭を現し、国治立大神の御安息場所となった」と教える。〔第15巻第21章「帰顕」#〕
天恩郷
顕恩郷は、当初は「天恩郷」という名称だった(→参考:大本の聖地「天恩郷」)。後に「顕恩郷」に修正された。
おそらく昭和9年以降の校正によって「顕恩郷」に修正されたものと思われる。調査した本のみを以下に列記する。
- 第6巻・初版(大正11年5月10日):「天恩郷」
- 第9巻・初版(大正11年7月5日):「天恩郷」
- 第5巻・再版(昭和4年6月30日):「天恩郷」
- 第63巻・再版(昭和6年3月30日):「天恩郷」
- 第6巻・三版(昭和7年7月15日):「天恩郷」/校正本(最初の校正は昭和9年4月、最終校正は昭和10年1~2月)で「顕恩郷」に修正。
- 第15巻・三版(昭和7年10月1日):「天恩郷」/校正本(最終校正は昭和10年3月)で「顕恩郷」に修正。
- 第16巻・三版(昭和7年10月20日):「天恩郷」/校正本(最終校正は昭和10年5月)で「顕恩郷」に修正。
- 第24巻・三版(昭和8年7月30日):「天恩郷」/校正本(最初の校正は昭和9年4月、最終校正は昭和10年3月)で「顕恩郷」に修正。
- 第5巻・四版(昭和9年8月15日):「顕恩郷」/第5巻の校正本(最終校正は昭和10年3月)の原本はこの四版であるが、最初から「顕恩郷」に修正済みの状態で出版されている。
脚注
- ↑ 「川北郷」は第5巻第7章「三拍子」#に1回だけ出る。「今まではこの郷を川北郷といひしを、この度の事ありてより顕恩郷と名づけられた」
- ↑ 第15巻第1章「破羅門」/a061#:「エデンの園及び顕恩郷(めぐみのさと)を根拠としたりける」、第26巻第4章「真心の花(三)」/a161-a162#:「メソポタミヤの楽園地 顕恩郷(めぐみのさと)を立ち出でて」
- ↑ 第5巻第20章「猿蟹合戦」#
- ↑ 4.0 4.1 第5巻第5章「盲亀の浮木」#
- ↑ 第5巻第20章「猿蟹合戦」#
- ↑ 第15巻第16章「水上の影」#:浅子姫のセリフ「天の太玉命、顕恩郷に現はれ給ひ、バラモン教の大棟梁鬼雲彦を神退ひにやらひ給ひ、妾は愛子姫様と共に、顕恩城を守護しまつる折しも、天照大神様、天の岩戸に隠れ給ひしより、太玉命は急遽、天教山に登らせ給ひ、その不在中、愛子姫様と妾は城内を守る折しも咫尺暗澹として昼夜を弁ぜず、荒振神は五月蝿の如く群がり起り、鬼雲彦は又もや現はれ来りて、暗に紛れて暴威を逞しうし、妾主従は生命も危き所、闇に紛れて城内を逃れ出で、エデンの河を生命からがら打渡り」