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万寿山

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』

万寿山(まんじゅざん)は、

(1) 霊界物語に登場する山。国祖国治立命が太白星の十二個の玉を国魂として配置[1]した「十二の山」の一つ。

(2) 霊界物語第3巻第5篇の篇題。第15章から第18章まで計4章あり、万寿山(第15章)、玉ノ井の湖(第16章)、霊鷲山(第17~18章)が舞台となる。玉ノ井の湖の東に万寿山が、西に霊鷲山がある。

本項では(1)について解説する。


概要

主なエピソード

第3巻第15章「神世の移写」#で万寿山が主たる舞台として登場する。

現実の万寿山

昭和14年(1939年)頃の万寿山。

現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。

頤和園は清の時代は皇室庭園だった。日本大百科全書[16]によると「旧称を甕山(おうざん)という。清の乾隆帝(けんりゅうてい)が、生母の60歳の長命を祝って万寿山と改めた。南麓の昆明湖(こんめいこ)とともに、頤和園を形成(略)山頂からの眺望はすばらしく、多くの観光客を集めている」。現在は世界遺産に登録されている。

万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた[17]一種の築山である。

万寿山は頤和園の景観の中心を占めており、頤和園の代名詞ともなっている。第二次大戦前は北京観光と言えば必ず見物に行くような景勝地であった。評論家の室伏高信(むろぶせ こうしん)は戦前、中国を旅行した際の道中記で、万寿山は「北平(注・ペイピン。北京の旧称)郊外では恐らく一番の名所で、北平見物の赤毛布連(注・あかげっとれん。田舎者の意)が誰でも一度は行つて見るところだ」と書いている[18]。

万寿山と亀岡・万寿苑

新月の光0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、霊鷲山は高熊山に相応する。

亀岡・天恩郷の旧称は「万寿苑」であり、また天恩郷の月照山より北側部分を「万寿苑」と呼ぶ。[19]

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ↑ 第3巻第2章「八王神の守護」#
  2. ↑ 第39巻第1章「大黒主」#:「西蔵と印度の境なる霊鷲山も其山続きなる万寿山も」
  3. ↑ 第3巻第16章「玉ノ井の宮」#
  4. ↑ 第3巻第15章「神世の移写」#
  5. ↑ 第2巻第4章「真澄の神鏡」#
  6. ↑ 第2巻第44章「魔風恋風」#
  7. ↑ 第3巻第16章#
  8. ↑ 第3巻第17章#
  9. ↑ 第3巻第16章「玉ノ井の宮」#
  10. ↑ 第3巻第32章「破軍の剣」#
  11. ↑ 第3巻第43章「配所の月」#
  12. ↑ 第4巻第1章「常世会議」#
  13. ↑ 第5巻第17章「勢力二分」#
  14. ↑ 第6巻第27章「神生み」#
  15. ↑ 第12巻第26章「秋月皎々」#
  16. ↑ コトバンク
  17. ↑ 頤和園 - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)
  18. ↑ 室伏高信『支那游記』昭和10年(1935年)、日本評論社、46頁。NDLDL蔵書『『支那游記』p43「万寿山に遊ぶ」』 PID:1877815/31
  19. ↑ 水鏡「天恩郷の命名」#:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」