霊鷲山

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』

霊鷲山(りょうしゅうざん、れいしゅうざん) [1] は、霊界物語に登場する山。 インドとチベットの境に屹立する高山[2]


主なエピソード

第3巻第17章と第18章で、霊鷲山が舞台となる。

  • 万寿山の神々は霊鷲山を第二の高天原とあがめた。[4]
  • 万寿山の八王神・磐樟彦は、一人で秘かに万寿山城を抜け出し、霊鷲山の大岩窟で百日間の霊的修業を行った。大岩窟の中には数百数千もの小岩窟が左右に散在している。この岩窟は宇宙の縮図であり、山河あり、種々の動植物が住んでいる。〔第3巻第17章岩窟の修業#
  • 磐樟彦は岩窟のほとりに社殿を造営し、修業所として設備を施した。その遷座式の献饌の中に鳥や獣、魚が盛られていたため、肉を献じることの是非が論争となる。斎主の神世彦が神示を乞うと「神は万物を愛する。神の前に犠牲とされる一切の生物は、罪悪を消滅し、新しき神国に生まれ出る」との神示が得られたので、その神示を尊重し、祭典を行った。〔第3巻第18章神霊の遷座#
  • 伊邪那岐命は、霊鷲山は神教を宣布する神界の根本霊地として、白雲別圓山姫久方彦三葉彦を永遠に守神として任命した。[5]
  • 霊鷲山麓の玉ノ井の里三葉彦三大教を興す。[2]

現実の霊鷲山

霊鷲山はもともと仏教で釈迦が法華経などを説いたとされる山で、「りょうじゅせん」と読む。

その場所は長い間忘れ去られていたが、明治36年(1903年)大谷光瑞(浄土真宗本願寺派第22世法主)が率いる探検隊が、インド・ビハール州のある山を霊鷲山だと断定した。

ブッダガヤ(仏陀が悟りを開いた地)から北東へ約50数km離れた所にある。

岩山で、山頂の岩が鷲の形をしているため「鷲の山」と呼ばれたという。

日本では高熊山に相応する。[6] [7]

脚注

  1. 霊鷲山のルビは、最初の方では「れいしうざん」だが、第11巻以降は「りやうしうざん」となる。合計では「れい~」が16回、「りやう~」が19回使われている。
  2. 2.0 2.1 第6巻第34章三大教#
  3. 第3巻第16章玉ノ井の宮#
  4. 4.0 4.1 第3巻第15章神世の移写#
  5. 第6巻第27章神生み#
  6. 新月のかけ0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、霊鷲山は高熊山に相応する。
  7. 入蒙記に王仁三郎は日本の霊鷲山に顕現したと書いてある。「瑞霊弐拾八歳にして成道し、日州霊鷲山に顕現し、三拾歳にして弥仙山に再臨し」入蒙記第8章聖雄と英雄#

関連項目

外部リンク

  • <wp>霊鷲山</wp>