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万寿山
,'''万寿山'''(まんじゅざん)は、
(1) [[霊界物語]]に登場する山。国祖[[国治立命]]が[[太白星の十二個の玉]]を国魂として配置<ref>{{rm|3|2|八王神の守護}}</ref>した「[[十二の山]]」の一つ。
(2) 霊界物語[[第3巻第5篇]]の篇題。
本ページでは(1)について解説する。
* 玉の色:赤
* [[八王神]]:[[磐樟彦]]
* [[八頭神]]:[[瑞穂別]] (妻)[[瑞穂姫]]
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* 初出:{{rm|2|4|真澄の神鏡}}
* 具体的に世界のどこにあるのかは不明。
* 「[[玉ノ井の湖]]」を挟んで、万寿山は東方に、[[霊鷲山]]は西方に位置する。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
* 万寿山の神殿を「[[月宮殿]]」と呼ぶ。<ref>{{rm|3|15|神世の移写}}</ref>
== 主なエピソード ==
{{rm|3|15|神世の移写}}で万寿山が主たる舞台として登場する。
* 万寿山で、邪神の[[杵築姫]]が[[稚桜姫命]]に化けていたが、[[大足彦]]は[[国の真澄の鏡]]で照らしてその正体を暴く。邪神の去った後の万寿山は実に荒涼たる荒野と化していた。<ref>{{rm|2|4|真澄の神鏡}}</ref>
* [[常世姫]]の讒言で濡れ衣を着せられた[[言霊別命]]は、[[竜宮城]]を出て万寿山に落ち延びた。竜宮城は常世姫に奪われてしまい、稚桜姫命らは万寿山に逃れた。稚桜姫命の来臨と共に万寿山はますます開拓され、堅城を造り鉄壁をめぐらして難攻不落の城塞となった。[[大八州彦命]]の活躍で竜宮城は神軍の手に戻り、稚桜姫命は言霊別命らを率いて竜宮城に帰還した。<ref>{{rm|2|44|魔風恋風}}</ref>
* 【{{rm|3|15|神世の移写}}】 万寿山はよく治まり、[[地の高天原]]に次ぐ聖場とまで栄えたが、これは実は霊鷲山の神霊・[[三ツ葉彦命]]の内面的輔佐の神徳があるため。万寿山の神たちは霊鷲山を第二の高天原と崇めて、三ツ葉彦命の神跡を神人修業の聖場と定め、霊鷲山麓に荘厳なる神殿を建立した。これを「[[玉ノ井の宮]]」と呼ぶ。
* 万寿山は第二の地の高天原に擬すべき霊地にして、[[玉ノ井の邑]]は[[竜宮城]]に比すべき大切な霊地<ref>{{rm|3|16}}</ref>。万寿山は神界の経綸上、最も重要な地点<ref>{{rm|3|17}}</ref>。
* [[常世姫]]は[[玉ノ井の湖]]を占領しようとするが、[[三ツ葉彦命]]の活躍で魔軍は撃退される。このとき天の[[三ツ星]]から救援に来た三柱の軍神([[東雲別命]]、[[白雲別命]]、[[青雲別命]])が一度に雄叫びすると、玉ノ井の湖の水が空に舞い上った。魔軍はこの水と共に空中に消えた。玉ノ井の湖水は東西に分かれて降り落ちて、新たな湖を形成した。東の湖は「[[牛の湖水]]」と呼ぶ。これは裏海(カスピ海)のことである。西の湖は「[[唐の湖]]」と呼ぶ。これは黒海のことである。三ツ星の三柱の神は玉ノ井の湖の守護神となり、白竜と変化した。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
* [[モスコー]]の城は常世姫のために蹂躙され、八王神・[[道貫彦]]夫妻と八頭神・[[夕日別]]夫妻は城を捨てて万寿山に避難する。<ref>{{rm|3|32|破軍の剣}}</ref>
* 国祖は、[[天地の律法]]を犯した罪で[[大八洲彦命]]、[[言霊別命]]、[[神国別命]]、[[大足彦]]の四天使に竜宮城を退去させ、万寿山の城に蟄居を命じる。<ref>{{rm|3|43|配所の月}}</ref>
* [[常世会議]]に万寿山の神司は一柱も出席しないことが神勅で決まる。<ref>{{rm|4|1|常世会議}}</ref>
* [[国祖隠退]]後、[[常世神王]]の一派と[[盤古神王]]の一派は東西に分かれて権勢争奪に余念がなかったが、万寿山は[[磐樟彦]]、[[瑞穂別]]の確固不抜の神政により何の動揺もなかった。<ref>{{rm|5|17|勢力二分}}</ref>
* [[大洪水]]後の修理固成で[[伊邪那岐命]]は、[[瑞穂別]]を万寿山の国魂に、[[瑞穂姫]]を輔佐に任じた。<ref>{{rm|6|27|神生み}}</ref>
* [[玉光彦]]([[三光の宣伝使]]の一人)は、[[瀬戸の海の一つ島]]に坐す[[深雪姫]]を娶り、万寿山に帰って父・[[磐樟彦]]の後継者となる。<ref>{{rm|12|26|秋月皎々}}</ref>
== 現実の万寿山 ==
現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。
頤和園は清の時代は皇室庭園だった。日本大百科全書<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%87%E5%AF%BF%E5%B1%B1-636648 コトバンク]</ref>によると「旧称を甕山(おうざん)という。清の乾隆帝(けんりゅうてい)が、生母の60歳の長命を祝って万寿山と改めた。南麓の昆明湖(こんめいこ)とともに、頤和園を形成(略)山頂からの眺望はすばらしく、多くの観光客を集めている」。現在は世界遺産に登録されている。
万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた<ref>[https://www.arachina.com/beijing/attraction/summerpalace.htm 頤和園] - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)</ref>一種の築山である。
== 万寿山と亀岡・万寿苑 ==
[[新月の光]]0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、[[霊鷲山]]は[[高熊山]]に相応する。
亀岡・[[天恩郷]]の旧称は「[[万寿苑]]」であり、また天恩郷の[[月照山]]より北側部分を「[[万寿苑]]」と呼ぶ。<ref>{{kgm|185|天恩郷の命名}}:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」</ref>
== 脚注 ==
<references/>
== 外部リンク ==
* <wp>頤和園</wp>
[[Category:霊界物語の章題|まんしゆさん]]
[[Category:霊界物語の山|まんしゆさん]]
(1) [[霊界物語]]に登場する山。国祖[[国治立命]]が[[太白星の十二個の玉]]を国魂として配置<ref>{{rm|3|2|八王神の守護}}</ref>した「[[十二の山]]」の一つ。
(2) 霊界物語[[第3巻第5篇]]の篇題。
本ページでは(1)について解説する。
* 玉の色:赤
* [[八王神]]:[[磐樟彦]]
* [[八頭神]]:[[瑞穂別]] (妻)[[瑞穂姫]]
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* 初出:{{rm|2|4|真澄の神鏡}}
* 具体的に世界のどこにあるのかは不明。
* 「[[玉ノ井の湖]]」を挟んで、万寿山は東方に、[[霊鷲山]]は西方に位置する。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
* 万寿山の神殿を「[[月宮殿]]」と呼ぶ。<ref>{{rm|3|15|神世の移写}}</ref>
== 主なエピソード ==
{{rm|3|15|神世の移写}}で万寿山が主たる舞台として登場する。
* 万寿山で、邪神の[[杵築姫]]が[[稚桜姫命]]に化けていたが、[[大足彦]]は[[国の真澄の鏡]]で照らしてその正体を暴く。邪神の去った後の万寿山は実に荒涼たる荒野と化していた。<ref>{{rm|2|4|真澄の神鏡}}</ref>
* [[常世姫]]の讒言で濡れ衣を着せられた[[言霊別命]]は、[[竜宮城]]を出て万寿山に落ち延びた。竜宮城は常世姫に奪われてしまい、稚桜姫命らは万寿山に逃れた。稚桜姫命の来臨と共に万寿山はますます開拓され、堅城を造り鉄壁をめぐらして難攻不落の城塞となった。[[大八州彦命]]の活躍で竜宮城は神軍の手に戻り、稚桜姫命は言霊別命らを率いて竜宮城に帰還した。<ref>{{rm|2|44|魔風恋風}}</ref>
* 【{{rm|3|15|神世の移写}}】 万寿山はよく治まり、[[地の高天原]]に次ぐ聖場とまで栄えたが、これは実は霊鷲山の神霊・[[三ツ葉彦命]]の内面的輔佐の神徳があるため。万寿山の神たちは霊鷲山を第二の高天原と崇めて、三ツ葉彦命の神跡を神人修業の聖場と定め、霊鷲山麓に荘厳なる神殿を建立した。これを「[[玉ノ井の宮]]」と呼ぶ。
* 万寿山は第二の地の高天原に擬すべき霊地にして、[[玉ノ井の邑]]は[[竜宮城]]に比すべき大切な霊地<ref>{{rm|3|16}}</ref>。万寿山は神界の経綸上、最も重要な地点<ref>{{rm|3|17}}</ref>。
* [[常世姫]]は[[玉ノ井の湖]]を占領しようとするが、[[三ツ葉彦命]]の活躍で魔軍は撃退される。このとき天の[[三ツ星]]から救援に来た三柱の軍神([[東雲別命]]、[[白雲別命]]、[[青雲別命]])が一度に雄叫びすると、玉ノ井の湖の水が空に舞い上った。魔軍はこの水と共に空中に消えた。玉ノ井の湖水は東西に分かれて降り落ちて、新たな湖を形成した。東の湖は「[[牛の湖水]]」と呼ぶ。これは裏海(カスピ海)のことである。西の湖は「[[唐の湖]]」と呼ぶ。これは黒海のことである。三ツ星の三柱の神は玉ノ井の湖の守護神となり、白竜と変化した。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
* [[モスコー]]の城は常世姫のために蹂躙され、八王神・[[道貫彦]]夫妻と八頭神・[[夕日別]]夫妻は城を捨てて万寿山に避難する。<ref>{{rm|3|32|破軍の剣}}</ref>
* 国祖は、[[天地の律法]]を犯した罪で[[大八洲彦命]]、[[言霊別命]]、[[神国別命]]、[[大足彦]]の四天使に竜宮城を退去させ、万寿山の城に蟄居を命じる。<ref>{{rm|3|43|配所の月}}</ref>
* [[常世会議]]に万寿山の神司は一柱も出席しないことが神勅で決まる。<ref>{{rm|4|1|常世会議}}</ref>
* [[国祖隠退]]後、[[常世神王]]の一派と[[盤古神王]]の一派は東西に分かれて権勢争奪に余念がなかったが、万寿山は[[磐樟彦]]、[[瑞穂別]]の確固不抜の神政により何の動揺もなかった。<ref>{{rm|5|17|勢力二分}}</ref>
* [[大洪水]]後の修理固成で[[伊邪那岐命]]は、[[瑞穂別]]を万寿山の国魂に、[[瑞穂姫]]を輔佐に任じた。<ref>{{rm|6|27|神生み}}</ref>
* [[玉光彦]]([[三光の宣伝使]]の一人)は、[[瀬戸の海の一つ島]]に坐す[[深雪姫]]を娶り、万寿山に帰って父・[[磐樟彦]]の後継者となる。<ref>{{rm|12|26|秋月皎々}}</ref>
== 現実の万寿山 ==
現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。
頤和園は清の時代は皇室庭園だった。日本大百科全書<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%87%E5%AF%BF%E5%B1%B1-636648 コトバンク]</ref>によると「旧称を甕山(おうざん)という。清の乾隆帝(けんりゅうてい)が、生母の60歳の長命を祝って万寿山と改めた。南麓の昆明湖(こんめいこ)とともに、頤和園を形成(略)山頂からの眺望はすばらしく、多くの観光客を集めている」。現在は世界遺産に登録されている。
万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた<ref>[https://www.arachina.com/beijing/attraction/summerpalace.htm 頤和園] - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)</ref>一種の築山である。
== 万寿山と亀岡・万寿苑 ==
[[新月の光]]0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、[[霊鷲山]]は[[高熊山]]に相応する。
亀岡・[[天恩郷]]の旧称は「[[万寿苑]]」であり、また天恩郷の[[月照山]]より北側部分を「[[万寿苑]]」と呼ぶ。<ref>{{kgm|185|天恩郷の命名}}:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」</ref>
== 脚注 ==
<references/>
== 外部リンク ==
* <wp>頤和園</wp>
[[Category:霊界物語の章題|まんしゆさん]]
[[Category:霊界物語の山|まんしゆさん]]