ヒマラヤ山
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ヒマラヤ山(ひまらやさん)は、霊界物語に登場する山。国祖国治立命が太白星の十二個の玉を国魂として配置[1]した「十二の山」の一つ。国祖隠退後に「地教山」と改称された[2]。別名「銀橋山」[3]。
概要
主なエピソード
ヒマラヤ山(地教山)が主たる舞台となるのは、
の4回ある。他に細かいエピソードもある。
- 【第1巻第45章「黄玉の行衛」#】 黄金水の十二個の玉のうち、九個までが邪神に奪われてしまった。黄金の玉を保管する時彦は邪神から玉を守るために、ヒマラヤ山に立て籠もり時節を待った。数年経ち、山の下で大八州彦命を始め数多の神司がデカタン高原に向かって行進しているのが見えた。山上からこれを見渡すと、十二個の神輿を神司が担いで進んでいる。時彦はいよいよ時節が到来したと思い、慌てて黄金の玉を持って行列に加わる。デカタン高原で玉を大八州彦命に献上するが、それは実は邪神が化けた偽の大八州彦命で、まんまと玉を奪われてしまった。
- 【第3巻第21章「狐の尻尾」#】 ヒマラヤ山はよく治まっていたが、八王大神常世彦は部下の武寅彦ら三人に命じて、玉国別(純銀の玉を鎮祭する「白銀の宮」の宮司)の妻・国香姫を誘惑し、玉を奪い取ろうと謀る。しかし玉国別は偽玉を用いて武寅彦らを生け捕ってしまう。狐の正体を現わした三人を、玉国別は偽玉と共に「玉の湖」の底に沈めてしまった。八王大神は純銀の玉は湖底に沈んだものと思い込み、これ以降、ここの国魂を奪う計画を絶った。
- 国祖隠退後は、常世神王と盤古神王は東西に分かれ、日夜権力闘争に明け暮れていた。その状況を陰から窺った国祖国治立大神は野立彦命と変名して天教山に現われ、また豊国姫命は野立姫命と変名してヒマラヤ山に現われた。ヒマラヤ山は東西の神王の管下を離れ、やや独立を保っていた。[6]
- 大洪水の時、顕恩郷の神人らは一柱も残らず333艘の方舟に搭乗してヒマラヤ山に難を避け、二度目の人間の祖となった。[7]
- 【第5巻第25章「姫神の宣示」#~第28章「地教山の垂示」#】 木花姫命の宣示を奉じ、天道別命や月照彦神らの諸神はヒマラヤ山に降下した。ヒマラヤ山では数多の神人が夜を日についで山の八合目以下の木を伐採し大杭を数多造り地中に盛んに打ち込んでいた。山頂で野立姫命の代理として高照姫神が、大竹の片割に垂訓を書き記して天道別命らに手渡す。それを背にくくりつけ、諸方を宣伝の旅に出ることになった(言触神=宣伝神)。山麓ではヒマラヤ彦の部下たちが酒に酔い躍り狂いながらウラル教の宣伝歌を歌っていた。祝部神はこれに負けじと三五教の宣伝歌を大声で歌う。空から荘厳な声で──ヒマラヤ山は今までヒマラヤ彦の管轄だったが、高山彦の専管に神定められた、これからは地教山と称するべし──と聞こえて来る。この声にヒマラヤ彦の部下たちはこの声に驚いて改心した。
- 大洪水後の修理固成で伊邪那岐命は、ヒマラヤ彦を地教山(ヒマラヤ山)の国魂に、ヒマラヤ姫を輔佐に任じる。[8]
- 豊の国の大酋長・高照彦(国治立命の御子)のセリフ「世は段々と立替り世界は大洪水に浸され、その時吾は方舟を作つて、ヒマラヤ山に舞ひ戻り、目も届かぬ大沙漠を拓いて、やうやう今日まで過してきた」[9]
- 神素盞嗚大神は第11巻でコーカス山の「顕国の宮」に入るが、それ以前は地教山に居た。[10]
- 【第15巻第12章「一人旅」#】 神素盞嗚大神は、天の岩戸開きの後、高天原を追放され、母神(伊弉冊命)に会うため地教山を登って行く。バラモン教の鬼掴らに行く手を塞がれるが、鬼掴を片足で蹴り投げてしまうと、他の家来たちは逃げて行く。母神が現れて──千座の置戸を負って世界を遍歴し八岐大蛇を切りはふり、彼が所持する叢雲の剣を天教山の天照大神に奉れ──と宣示する。素盞嗚は山を下ると、鬼掴が現れて平伏し帰順の意を表し、実は自分は天教山のある尊い神から内命を受けた者です、と正体を明かし、素盞嗚に一緒について行くことになる。
現実のヒマラヤ山
現実のヒマラヤ山は、インドとチベットの辺りに東西に連なるヒマラヤ山脈である。
無数の山脈が連なる巨大な山脈で、長さ約2500キロメートル、幅約200キロメートル。地球上で一番標高の高い地域で、エベレスト(チベット名はチョモランマ、標高8848メートル)を始め8千メートル以上の山が8つある。平均高度4800メートル。
ヒマラヤはサンスクリット語で「雪の住みか」の意味、チョモランマはチベット語で「大地の母」の意味。
ヒマラヤ山と皆神山
ヒマラヤ山は地教山と改名したが、長野県の皆神山も地教山と呼ばれる。(皆神山はヒマラヤ山に相応する)
月鏡「信濃国皆神山」#:「信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であつて(略)霊界物語にある地教山は此山である。素盞嗚命が高天原なる天教山より下り、母神の坐ますこの山にのぼりたまふた事実も、そつくりあの通り出て来たのである」
ヒマラヤ山と比叡山
『新月の光』によると、ヒマラヤ山は比叡山に相応する。[11]
現実のヒマラヤと比叡山の共通点はどちらも宗教のセンターになっていることである。ヒマラヤには仏教やイスラム教、ヒンズー教、ジャイナ教、シーク教などの施設が多数あり、南アジアの宗教のセンターになっている。また比叡山延暦寺は日本仏教の諸宗祖を輩出しており、当時の日本の宗教センターであった。
脚注
- ↑ 第3巻第2章「八王神の守護」#
- ↑ 第5巻第28章「地教山の垂示」#
- ↑ 第37巻第1章「富士山」#:「ヒマラヤ山は古代は地教山または銀橋山と言い」
- ↑ 第37巻第1章「富士山」#
- ↑ 第40巻第16章「春駒」#:春公のセリフ「月の国のカルマタ国とか云つて、地教山の西南麓の可なり広い国の都へ(ウラル教の)神館が移つたさうで厶います。そしてウラル彦様の子孫たる常暗彦様が教主となつて、再び昔日の勢をもり返してゐられるといふ事で厶います」、第41巻第14章「慈訓」#:竜雲のセリフ「カルマタ国は東北に地教山を控へ、地教山には三五教の神柱が誠の道を守つて附近の人民を教養して居られる。そこへウラル教の常暗彦が現はれて本拠を構へ、間隙あれば地教山を併呑せむと企んでゐる」
- ↑ 第5巻第17章「勢力二分」#
- ↑ 第5巻第22章「神示の方舟」#
- ↑ 第6巻第27章「神生み」#
- ↑ 第7巻第41章「枯木の花」#
- ↑ 第11巻第24章「顕国宮」#:「ここに神須佐之男命は地教の山をあとにして顕国の宮に入らせ給ひ」、第12巻第1章「正神邪霊」#:「神素盞嗚の大神は 地教の山を後にして 魔神の巣喰ふコーカスの 峰に現はれましまして」
- ↑ 新月の光0234「霊界物語の地名」
関連項目
- 天教山 - 富士山のこと