「第二次大本事件」の版間の差分

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第二審の判決に対し、検察側は治安維持法違反について、弁護側は不敬罪についてそれぞれ上告した。戦局が悪化し、東京が大空襲に見舞われる中で、大審院での審理は停滞したが、昭和20年9月8日、大審院は双方の上告を棄却する判決を下した。これにより、治安維持法違反の無罪と、不敬罪の有罪が確定した。
第二審の判決に対し、検察側は治安維持法違反について、弁護側は不敬罪についてそれぞれ上告した。戦局が悪化し、東京が大空襲に見舞われる中で、大審院での審理は停滞したが、昭和20年9月8日、大審院は双方の上告を棄却する判決を下した。これにより、治安維持法違反の無罪と、不敬罪の有罪が確定した。


その直前の8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。GHQの指令により、治安維持法や不敬罪、[[宗教団体法]]などの弾圧法規は撤廃された。そして10月17日には[[大赦令]]が公布され、第二次大本事件に関するすべての公訴権は消滅し、事件は法的に完全に解消された。不敬罪の有罪も消滅し、晴れて無罪となったのである。
その直前の8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。GHQの指令により、治安維持法や不敬罪、[[宗教団体法]]などの弾圧法規は撤廃された。そして10月17日には[[昭和二十年勅令第五百七十九号|大赦令]]が公布され、第二次大本事件に関するすべての公訴権は消滅し、事件は法的に完全に解消された。不敬罪の有罪も消滅し、晴れて無罪となったのである。


事件の解決と共に、奪われていた土地の返還交渉も進められた。綾部・亀岡両町に譲渡されていた旧聖地の土地は、昭和20年11月までに大本側に返還された。廃墟と化した聖地に立った王仁三郎は、「全部叩き潰されたが、木だけは大きくなったなあ」と感慨深げに語ったという。
事件の解決と共に、奪われていた土地の返還交渉も進められた。綾部・亀岡両町に譲渡されていた旧聖地の土地は、昭和20年11月までに大本側に返還された。廃墟と化した聖地に立った王仁三郎は、「全部叩き潰されたが、木だけは大きくなったなあ」と感慨深げに語ったという。
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【昭和20年(1945年)】
【昭和20年(1945年)】
* 9月8日:大審院判決。上告棄却し、原審確定。
* 9月8日:大審院判決。上告棄却し、原審確定。
* 10月17日:[[大赦令]]によって無罪となり事件は解消する。
* 10月17日:[[昭和二十年勅令第五百七十九号|大赦令]]によって無罪となり事件は解消する。
* 10月18日:亀岡町から大本に土地が返還され、土地移転登記完了。
* 10月18日:亀岡町から大本に土地が返還され、土地移転登記完了。
* 11月15日:綾部町から大本に土地が返還され、土地移転登記完了。
* 11月15日:綾部町から大本に土地が返還され、土地移転登記完了。