「回顧録」の版間の差分

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こうして王仁三郎は文章の大幅な改変をせざるを得なくなった。
こうして王仁三郎は文章の大幅な改変をせざるを得なくなった。


[[大本神諭]]に不敬な箇所があるということが弾圧の理由となったが、その大本神諭に代わる新教典として霊界物語が作成された。しかし当時の大本幹部は開祖中心の宗教観のままであり、その視点から見た場合、回顧録(特に「序=発端」)の記述は問題だらけであった。そのため新教典に収録するにあたり王仁三郎に対して書き直しを要求することとなった。
[[大本神諭]]に不敬な箇所があるということが弾圧の理由となったが、その大本神諭に代わる新教典として霊界物語が作成された。しかし当時の大本幹部は開祖中心の宗教観のままであり、その視点から見た場合、回顧録(特に「序=発端」)の記述は問題だらけであった。そのため新教典に収録するにあたり王仁三郎に対して、無難な文章になるよう書き直しを要求することになった。


削除や訂正など改変された文章は主に次のような箇所である。
削除や訂正など改変された文章は主に次のような箇所である。
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* 大本の幹部や信者を批判した箇所。【例】〈大本の信者の大部分は真正に神諭の了解が出来て居ないから、体的経綸の神業者ヨハネ(注・出口直)を主とし、霊的経綸の神業者(注・王仁三郎)を従として居る人が多い。否な全部体主霊従の信仰に堕落して居るのである〉は削除。
* 大本の幹部や信者を批判した箇所。【例】〈大本の信者の大部分は真正に神諭の了解が出来て居ないから、体的経綸の神業者ヨハネ(注・出口直)を主とし、霊的経綸の神業者(注・王仁三郎)を従として居る人が多い。否な全部体主霊従の信仰に堕落して居るのである〉は削除。
* 出口直より王仁三郎を重視しているような箇所。(上の例を参照)
* 出口直より王仁三郎を重視しているような箇所。(上の例を参照)
* 当局を批判的に発言した箇所や、不敬・過激だと思われかねない箇所。【例】〈官憲の圧迫〉を〈其筋の誤解〉に、〈革命〉や〈改革〉を〈改造〉に、〈皇徳〉を〈神徳〉に変更。
* 当局を批判的に発言した箇所や、不敬・過激だと思われかねない箇所。【例】〈官憲の圧迫〉を〈其筋の誤解〉に、〈革命〉を〈改造〉に、〈皇徳〉を〈神徳〉に、〈天津日嗣天皇〉を〈天津日の神〉に変更。


特に「序=発端」は全体の半分以上が書き直しとなった。弾圧まで[[浅野和三郎]]ら幹部が大本に関する著書を多数発行していたが、それによって神意がねじ曲げられていることを王仁三郎は強く批判した。
特に「序=発端」は全体の半分以上が書き直しとなった。弾圧まで[[浅野和三郎]]ら幹部が大本に関する著書を多数発行していたが、それによって神意がねじ曲げられていることを王仁三郎は強く批判した。