「大日本武道宣揚会」の版間の差分

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10年10月31日(27日から始まった大本大祭の5日目)[[天恩郷]]で大日本武道宣揚会主催の奉納武道大会が約3時間半に亘り盛大に開催され、植芝範主による合気武術の解説・実演や、剣道・気合術・杖術の試合などが行われた<ref>『[[真如の光]]』昭和10年11月17・25日合併号15~17頁</ref> <ref name="B195402c5431" /> <ref>『[[竹田別院五十年誌]]』144頁</ref> <ref>この日、天恩郷の[[明光殿]]にて第一回[[歌祭]]が開催されている。</ref>。(これが大日本武道宣揚会の対外的活動の最後になったようである<ref>広瀬浩二郎『[[人間解放の福祉論]]』149頁の最後の行</ref>)
10年10月31日(27日から始まった大本大祭の5日目)[[天恩郷]]で大日本武道宣揚会主催の奉納武道大会が約3時間半に亘り盛大に開催され、植芝範主による合気武術の解説・実演や、剣道・気合術・杖術の試合などが行われた<ref>『[[真如の光]]』昭和10年11月17・25日合併号15~17頁</ref> <ref name="B195402c5431" /> <ref>『[[竹田別院五十年誌]]』144頁</ref> <ref>この日、天恩郷の[[明光殿]]にて第一回[[歌祭]]が開催されている。</ref>。(これが大日本武道宣揚会の対外的活動の最後になったようである<ref>広瀬浩二郎『[[人間解放の福祉論]]』149頁の最後の行</ref>)


昭和11年(1936年)3月、当局の命令により大日本武道宣揚会は解散した。だが植芝盛平の活動は進展し、昭和15年4月には「財団法人皇武会」となり、昭和23年2には「財団法人合気会」と改称して合気道を大成させて行く。
昭和11年(1936年)3月13日、当局の命令により大日本武道宣揚会は解散した。だが植芝盛平の活動は進展し、昭和15年4月には「財団法人皇武会」となり、昭和23年2には「財団法人合気会」と改称して合気道を大成させて行く。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==