「万寿山」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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(現実の万寿山)
 
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(2) 霊界物語[[第3巻第5篇]]の篇題。
 
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* 具体的に世界のどこにあるのかは不明。
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* 万寿山は[[霊鷲山]]の山続き。<ref>{{rm|39|1|大黒主}}:「西蔵と印度の境なる霊鷲山も其山続きなる万寿山も」</ref>
 
* 「[[玉ノ井の湖]]」を挟んで、万寿山は東方に、[[霊鷲山]]は西方に位置する。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
 
* 「[[玉ノ井の湖]]」を挟んで、万寿山は東方に、[[霊鷲山]]は西方に位置する。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
 
* 万寿山の神殿を「[[月宮殿]]」と呼ぶ。<ref>{{rm|3|15|神世の移写}}</ref>
 
* 万寿山の神殿を「[[月宮殿]]」と呼ぶ。<ref>{{rm|3|15|神世の移写}}</ref>
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== 現実の万寿山 ==
 
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[[ファイル:昭和14年頃の万寿山(支那写真大観).jpg|thumb|昭和14年(1939年)頃の万寿山。]]
  
 
現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。
 
現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。
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万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた<ref>[https://www.arachina.com/beijing/attraction/summerpalace.htm 頤和園] - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)</ref>一種の築山である。
 
万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた<ref>[https://www.arachina.com/beijing/attraction/summerpalace.htm 頤和園] - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)</ref>一種の築山である。
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万寿山は頤和園の景観の中心を占めており、頤和園の代名詞ともなっている。第二次大戦前は北京観光と言えば必ず見物に行くような景勝地であった。評論家の室伏高信(むろぶせ こうしん)は戦前、中国を旅行した際の道中記で、万寿山は「北平(注・ペイピン。北京の旧称)郊外では恐らく一番の名所で、北平見物の赤毛布連(注・あかげっとれん。田舎者の意)が誰でも一度は行つて見るところだ」と書いている<ref>室伏高信『支那游記』昭和10年(1935年)、日本評論社、46頁。{{Pid|1877815/31|『支那游記』p43「万寿山に遊ぶ」}}</ref>。
  
 
== 万寿山と亀岡・万寿苑 ==
 
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== 脚注 ==
 
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* [[玉ノ井の湖]]:万寿山の西にある湖水。{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}:「玉ノ井湖の水は深く清く(略)万寿山は東方に位し、霊鷲山は西方に位し」
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2022年6月17日 (金) 20:44時点における最新版

万寿山(まんじゅざん)は、

(1) 霊界物語に登場する山。国祖国治立命太白星の十二個の玉を国魂として配置[1]した「十二の山」の一つ。

(2) 霊界物語第3巻第5篇の篇題。

本項では(1)について解説する。


概要

主なエピソード

第3巻第15章神世の移写#で万寿山が主たる舞台として登場する。

現実の万寿山

昭和14年(1939年)頃の万寿山。

現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。

頤和園は清の時代は皇室庭園だった。日本大百科全書[16]によると「旧称を甕山(おうざん)という。清の乾隆帝(けんりゅうてい)が、生母の60歳の長命を祝って万寿山と改めた。南麓の昆明湖(こんめいこ)とともに、頤和園を形成(略)山頂からの眺望はすばらしく、多くの観光客を集めている」。現在は世界遺産に登録されている。

万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた[17]一種の築山である。

万寿山は頤和園の景観の中心を占めており、頤和園の代名詞ともなっている。第二次大戦前は北京観光と言えば必ず見物に行くような景勝地であった。評論家の室伏高信(むろぶせ こうしん)は戦前、中国を旅行した際の道中記で、万寿山は「北平(注・ペイピン。北京の旧称)郊外では恐らく一番の名所で、北平見物の赤毛布連(注・あかげっとれん。田舎者の意)が誰でも一度は行つて見るところだ」と書いている[18]

万寿山と亀岡・万寿苑

新月の光0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、霊鷲山高熊山に相応する。

亀岡・天恩郷の旧称は「万寿苑」であり、また天恩郷の月照山より北側部分を「万寿苑」と呼ぶ。[19]

脚注

  1. 第3巻第2章八王神の守護#
  2. 第39巻第1章大黒主#:「西蔵と印度の境なる霊鷲山も其山続きなる万寿山も」
  3. 第3巻第16章玉ノ井の宮#
  4. 第3巻第15章神世の移写#
  5. 第2巻第4章真澄の神鏡#
  6. 第2巻第44章魔風恋風#
  7. 第3巻第16章#
  8. 第3巻第17章#
  9. 第3巻第16章玉ノ井の宮#
  10. 第3巻第32章破軍の剣#
  11. 第3巻第43章配所の月#
  12. 第4巻第1章常世会議#
  13. 第5巻第17章勢力二分#
  14. 第6巻第27章神生み#
  15. 第12巻第26章秋月皎々#
  16. コトバンク
  17. 頤和園 - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)
  18. 室伏高信『支那游記』昭和10年(1935年)、日本評論社、46頁。国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『『支那游記』p43「万寿山に遊ぶ」』 PID:1877815/31
  19. 水鏡「天恩郷の命名」#:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」

関連項目

外部リンク