「万寿山」の版間の差分
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現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。 | 現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。 | ||
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万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた<ref>[https://www.arachina.com/beijing/attraction/summerpalace.htm 頤和園] - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)</ref>一種の築山である。 | 万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた<ref>[https://www.arachina.com/beijing/attraction/summerpalace.htm 頤和園] - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)</ref>一種の築山である。 | ||
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+ | 万寿山は頤和園の景観の中心を占めており、頤和園の代名詞ともなっている。第二次大戦前は北京観光と言えば必ず見物に行くような景勝地であった。評論家の室伏高信(むろぶせ こうしん)は戦前、中国を旅行した際の道中記で、万寿山は「北平(注・ペイピン。北京の旧称)郊外では恐らく一番の名所で、北平見物の赤毛布連(注・あかげっとれん。田舎者の意)が誰でも一度は行つて見るところだ」と書いている<ref>室伏高信『支那游記』昭和10年(1935年)、日本評論社、46頁。{{Pid|1877815/31|『支那游記』p43「万寿山に遊ぶ」}}</ref>。 | ||
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== 外部リンク == | == 外部リンク == |
2022年6月17日 (金) 20:44時点における最新版
万寿山(まんじゅざん)は、
(1) 霊界物語に登場する山。国祖国治立命が太白星の十二個の玉を国魂として配置[1]した「十二の山」の一つ。
(2) 霊界物語第3巻第5篇の篇題。
本項では(1)について解説する。
概要
主なエピソード
第3巻第15章「神世の移写」#で万寿山が主たる舞台として登場する。
- 万寿山で、邪神の杵築姫が稚桜姫命に化けていたが、大足彦は国の真澄の鏡で照らしてその正体を暴く。邪神の去った後の万寿山は実に荒涼たる荒野と化していた。[5]
- 常世姫の讒言で濡れ衣を着せられた言霊別命は、竜宮城を出て万寿山に落ち延びた。竜宮城は常世姫に奪われてしまい、稚桜姫命らは万寿山に逃れた。稚桜姫命の来臨と共に万寿山はますます開拓され、堅城を造り鉄壁をめぐらして難攻不落の城塞となった。大八州彦命の活躍で竜宮城は神軍の手に戻り、稚桜姫命は言霊別命らを率いて竜宮城に帰還した。[6]
- 【第3巻第15章「神世の移写」#】 万寿山はよく治まり、地の高天原に次ぐ聖場とまで栄えたが、これは実は霊鷲山の神霊・三ツ葉彦命の内面的輔佐の神徳があるため。万寿山の神たちは霊鷲山を第二の高天原と崇めて、三ツ葉彦命の神跡を神人修業の聖場と定め、霊鷲山麓に荘厳なる神殿を建立した。これを「玉ノ井の宮」と呼ぶ。
- 万寿山は第二の地の高天原に擬すべき霊地にして、玉ノ井の邑は竜宮城に比すべき大切な霊地[7]。万寿山は神界の経綸上、最も重要な地点[8]。
- 常世姫は玉ノ井の湖を占領しようとするが、三ツ葉彦命の活躍で魔軍は撃退される。このとき天の三ツ星から救援に来た三柱の軍神(東雲別命、白雲別命、青雲別命)が一度に雄叫びすると、玉ノ井の湖の水が空に舞い上った。魔軍はこの水と共に空中に消えた。玉ノ井の湖水は東西に分かれて降り落ちて、新たな湖を形成した。東の湖は「牛の湖水」と呼ぶ。これは裏海(カスピ海)のことである。西の湖は「唐の湖」と呼ぶ。これは黒海のことである。三ツ星の三柱の神は玉ノ井の湖の守護神となり、白竜と変化した。[9]
- モスコーの城は常世姫のために蹂躙され、八王神・道貫彦夫妻と八頭神・夕日別夫妻は城を捨てて万寿山に避難する。[10]
- 国祖は、天地の律法を犯した罪で大八洲彦命、言霊別命、神国別命、大足彦の四天使に竜宮城を退去させ、万寿山の城に蟄居を命じる。[11]
- 常世会議に万寿山の神司は一柱も出席しないことが神勅で決まる。[12]
- 国祖隠退後、常世神王の一派と盤古神王の一派は東西に分かれて権勢争奪に余念がなかったが、万寿山は磐樟彦、瑞穂別の確固不抜の神政により何の動揺もなかった。[13]
- 大洪水後の修理固成で伊邪那岐命は、瑞穂別を万寿山の国魂に、瑞穂姫を輔佐に任じた。[14]
- 玉光彦(三光の宣伝使の一人)は、瀬戸の海の一つ島に坐す深雪姫を娶り、万寿山に帰って父・磐樟彦の後継者となる。[15]
現実の万寿山
現実の万寿山は、北京市の中心からおよそ12キロメートル北西の「頤和園(いわえん)」という庭園の中にある標高50メートルほどの「万寿山」のことであると思われる。
頤和園は清の時代は皇室庭園だった。日本大百科全書[16]によると「旧称を甕山(おうざん)という。清の乾隆帝(けんりゅうてい)が、生母の60歳の長命を祝って万寿山と改めた。南麓の昆明湖(こんめいこ)とともに、頤和園を形成(略)山頂からの眺望はすばらしく、多くの観光客を集めている」。現在は世界遺産に登録されている。
万寿山は、昆明湖を拡げるために掘り起こした土を、もともとあった小山(前述の甕山)の両側に積み上げて盛り上げられた[17]一種の築山である。
万寿山は頤和園の景観の中心を占めており、頤和園の代名詞ともなっている。第二次大戦前は北京観光と言えば必ず見物に行くような景勝地であった。評論家の室伏高信(むろぶせ こうしん)は戦前、中国を旅行した際の道中記で、万寿山は「北平(注・ペイピン。北京の旧称)郊外では恐らく一番の名所で、北平見物の赤毛布連(注・あかげっとれん。田舎者の意)が誰でも一度は行つて見るところだ」と書いている[18]。
万寿山と亀岡・万寿苑
新月の光0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、霊鷲山は高熊山に相応する。
亀岡・天恩郷の旧称は「万寿苑」であり、また天恩郷の月照山より北側部分を「万寿苑」と呼ぶ。[19]
脚注
- ↑ 第3巻第2章「八王神の守護」#
- ↑ 第39巻第1章「大黒主」#:「西蔵と印度の境なる霊鷲山も其山続きなる万寿山も」
- ↑ 第3巻第16章「玉ノ井の宮」#
- ↑ 第3巻第15章「神世の移写」#
- ↑ 第2巻第4章「真澄の神鏡」#
- ↑ 第2巻第44章「魔風恋風」#
- ↑ 第3巻第16章#
- ↑ 第3巻第17章#
- ↑ 第3巻第16章「玉ノ井の宮」#
- ↑ 第3巻第32章「破軍の剣」#
- ↑ 第3巻第43章「配所の月」#
- ↑ 第4巻第1章「常世会議」#
- ↑ 第5巻第17章「勢力二分」#
- ↑ 第6巻第27章「神生み」#
- ↑ 第12巻第26章「秋月皎々」#
- ↑ コトバンク
- ↑ 頤和園 - AirChina:「高さ58.59mの万寿山は、頤和園の代表的な風景である。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられた。それが対称的でなだらかな山坂をもつ、いまの姿になったのだ。」(2019/5/4閲覧)
- ↑ 室伏高信『支那游記』昭和10年(1935年)、日本評論社、46頁。国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『『支那游記』p43「万寿山に遊ぶ」』 PID:1877815/31
- ↑ 水鏡「天恩郷の命名」#:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」