「五個の神玉」の版間の差分

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'''五個の神玉'''(ごこのしんぎょく)とは、[[霊界物語]][[第2巻]]で、高砂島([[台湾島]])の[[新高山]]に[[稚桜姫命]]が訪れたときに、正神司たちが奉呈した5つの玉のこと。{{rm|2|7|天地の合せ鏡}}だけに出る。
'''五個の神玉'''(ごこのしんぎょく)とは、[[霊界物語]][[第2巻]]で、高砂島([[台湾島]])の[[新高山]]に[[稚桜姫命]]が訪れたときに、正神司たちが奉呈した5つの玉のこと。{{rm|2|7|天地の合せ鏡}}だけに出る。


== 概要 ==
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| [[奇八玉命]]
| [[奇八玉命]]
| 海底から
| 海底から
| 日生石の玉
| 日生石の玉(「[[#日生石]]」参照)
| 神人出生の時に安産を守る宝玉。この玉の威徳に感じて生まれた神人はすべて至粋至純の身魂を有する霊主体従の身魂である。
| 神人出生の時に安産を守る宝玉。この玉の威徳に感じて生まれた神人はすべて至粋至純の身魂を有する霊主体従の身魂である。
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また、[[海原彦命]]と[[国の御柱神]]は冠島・沓島に秘した「[[三個の宝珠]]」も守護しているが<ref>{{rm|1|35|一輪の秘密}}:「しかして竜宮ケ嶋には厳の御魂なる潮満の珠を(略)瑞の御魂なる潮干の珠とともに、この宮殿に納めたまうた。この潮満の珠の又の名を豊玉姫神といひ、潮干の珠の又の名を玉依姫神といふ。(略)国常立尊は冠島の国魂の神に命じて、この神宝を永遠に守護せしめたまうた。この島の国魂の御名を'''[[海原彦神]]'''といひ、又の御名を綿津見神といふ。つぎに沓島に渡りたまひて真澄の珠を永遠に納めたまひ、'''[[国の御柱神]]'''をして之を守護せしめられた。国の御柱神は鬼門ケ島の国魂の又の御名である。」</ref>、それとの関連は不明である。
また、[[海原彦命]]と[[国の御柱神]]は冠島・沓島に秘した「[[三個の宝珠]]」も守護しているが<ref>{{rm|1|35|一輪の秘密}}:「しかして竜宮ケ嶋には厳の御魂なる潮満の珠を(略)瑞の御魂なる潮干の珠とともに、この宮殿に納めたまうた。この潮満の珠の又の名を豊玉姫神といひ、潮干の珠の又の名を玉依姫神といふ。(略)国常立尊は冠島の国魂の神に命じて、この神宝を永遠に守護せしめたまうた。この島の国魂の御名を'''[[海原彦神]]'''といひ、又の御名を綿津見神といふ。つぎに沓島に渡りたまひて真澄の珠を永遠に納めたまひ、'''[[国の御柱神]]'''をして之を守護せしめられた。国の御柱神は鬼門ケ島の国魂の又の御名である。」</ref>、それとの関連は不明である。
== 日生石 ==
「日生石(にっしょうせき)」がどういう石なのかは不明。[[月宮殿]]の御神体石の一つに「日照石」がある。
{{inyou|聖師が祭主になり、ご神体のみろく石を[[出口宇知麿]]、月照石を[[御田村竜吉]]、'''日照石'''を[[井上留五郎]]、三光石を[[東尾吉雄]]、暁の明星石を[[大国以都雄]]、宵の明星石を[[出口寿賀麿]]が捧持して月宮殿に入殿し、遷座鎮祭の式をすまし、一一月一六日には月宮殿完成式が盛大におこなわれた。| 『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5112|大祭後の動き}}」 }}
大本以外だと、江戸時代に紀州の船津村(明治期は三重県北牟婁郡船津村だと思われる)で採れた「日照石」別名「霧間石」がある。<ref>『奥熊野群書類輯 紀北篇』昭和5年、26頁下段、{{ndldl|1030782/1/18}}/『南紀徳川史 第11冊』352頁、{{ndldl|12282718/1/194}}</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==