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4月25日午後、盧占魁は数十の騎兵と200の歩兵を率いて[[索倫山]]へ向かって公爺府を出発した。
4月25日午後、盧占魁は数十の騎兵と200の歩兵を率いて[[索倫山]]へ向かって公爺府を出発した。


翌26日、王仁三郎と松村真澄は2台の轎車に分乗し、公爺府を出発する。200人の兵士のほか、日本人も皆武器を持ったが、王仁三郎と松村真澄は宗教家として武器は持たなかった。
翌26日、王仁三郎と松村真澄は2台の轎車に分乗し、公爺府を出発する。200人の兵士のほか、日本人も皆武器を持ったが、王仁三郎と松村真澄は宗教家として武器は持たなかった。<ref>第67巻([[王仁蒙古入記]]として発行)の次に口述された第68巻([[第66巻]]として発行)に、三五教の宣伝使・[[照国別]]が、[[トルマン国]]の義勇軍に従軍するシーンがある。弟子の[[梅公]]が〈殺伐なる軍隊に参加し、砲煙弾雨の中に馳駆するのは決して宣伝使の本分ぢや厶いますまい〉と進言する。それに対して照国別は〈義勇軍に参加しようと云ふのは傷病者を救ひ、敵味方の区別なく誠の道を説き諭し、平和に解決し、このトルマン国は申すに及ばず、印度七千余国の国民を神の慈恩に浴せしむる為だ。其第一歩として従軍を願つて居るのだ〉と答えている。〔{{rm|66|5|愁雲退散}}〕</ref>


4月28日午前9時20分、王仁三郎一行は索倫の[[下木局子]]に到着。先発の盧占魁一行が出迎えた。〔{{rm|nm|20|春軍完備}}〕
4月28日午前9時20分、王仁三郎一行は索倫の[[下木局子]]に到着。先発の盧占魁一行が出迎えた。〔{{rm|nm|20|春軍完備}}〕