「出口王仁三郎」の版間の差分
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明治4年(1871年)7月12日(当時はまだ改暦前。新暦だと8月27日になる)上田家に生まれる。幼名・喜三郎(きさぶろう)。 | 明治4年(1871年)7月12日(当時はまだ改暦前。新暦だと8月27日になる)上田家に生まれる。幼名・喜三郎(きさぶろう)。 | ||
=== 父母・祖父母 === | |||
父は[[上田吉松]](きちまつ)。母は[[上田世祢|世祢]](よね)。 | 父は[[上田吉松]](きちまつ)。母は[[上田世祢|世祢]](よね)。 | ||
祖父は[[上田吉松]]。祖母は[[上田宇能]](うの)。 | |||
=== 兄弟 === | |||
王仁三郎は男5人・女3人の8人兄弟の長男である。ただしそのうち2人は夭折している。他の弟妹は次の通り。<ref>「故郷の弐拾八年」の「{{obc|B121808c06|上田の家庭}}」、その他の参考文献による。</ref> | |||
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!続柄!!名前!!生誕日!!帰幽日!!享年!!配偶者!!備考 | |||
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|長男||喜三郎(きさぶろう)(出口王仁三郎)||明治4年(1871年)7月12日||昭和23年(1948年)1月19日||76歳||澄子|| | |||
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|二男||[[由松]](よしまつ)||明治7年(1874年)1月4日(旧11月16日)<ref name="omnp">「大本年表」による。</ref>|| || || || | |||
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|三男||[[幸吉]](こうきち)||明治12年(1879年)3月15日(旧2月23日)<ref name="omnp" />|| || || ||比沼麻奈為神社の宮司を務めた。 →「[[比沼麻奈為神社#宮司]]」 | |||
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|長女||絹子(きぬこ)||年月日不明||年月日不明||4歳(数え年?)<ref>「故郷の弐拾八年」による。「長妹を絹子と云つた。これも四歳にして帰幽した」</ref>)||-|| || | |||
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|次女||[[雪子]](ゆきこ)||明治15年(1882年)3月19日(旧2月1日)<ref name="omnp" />||昭和27年(1952年)6月25日<ref name="omnp" />||70歳||[[西田元教]]|| || | |||
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|四男||政一(まさいち)([[小竹玖仁彦]])||明治18年(1885年)秋<ref>みいづ舎版『大地の母 第一巻』p.106「昨秋生まれた四男政一がいる」</ref>||昭和8年(1933年)11月22日<ref name="omnp" />||48歳|| ||明治28年(1895年)京都市の小竹宗太郎の養子となる<ref>みいづ舎版『大地の母 第二巻』p.106「十四歳の四男政一は一昨年夏、京都市に住む小竹宗太郎の養子に行っていない」</ref>。 | |||
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|五男||久太郎(きゅうたろう)||明治21年(1888年)3月7日(旧1月25日)<ref name="omnp" />||不詳||十日目(または数十日後)に帰幽<ref>みいづ舎版『大地の母 第二巻』p.106「五男久太郎は二十一年に生まれて十日目に死んでいる」。「故郷の弐拾八年」では「久太郎は出生後数十日にして帰幽した」。</ref>||-|| | |||
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|三女||[[君子]](きみこ)||明治25年(1892年)9月22日(旧8月2日)<ref name="omnp" />|| ||明治41年(1908年)3月27日、[[小西増吉]](宇津の[[小西松元]]の息子)と結婚<ref name="omnp" />|| | |||
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=== 妻 === | |||
[[出口澄子]](大本開祖・[[出口直]]の末子で第五女)。明治33年(1900年)1月31日(旧暦1月1日)に結婚。明治16年(1883年)2月3日生まれの澄子は結婚時は満16歳。 | |||
=== 子女 === | |||
王仁三郎と澄子との間に男子2人・女子6人の子ができたが、そのうち男子2人・女子1人は小さい時に帰幽した。成人した子は女子5人なので、尚江は四女、住之江は五女と表記する文献もある。(享年は満年齢、子女は夭折者を除く) | 王仁三郎と澄子との間に男子2人・女子6人の子ができたが、そのうち男子2人・女子1人は小さい時に帰幽した。成人した子は女子5人なので、尚江は四女、住之江は五女と表記する文献もある。(享年は満年齢、子女は夭折者を除く) | ||