「たまほこのひ可里」の版間の差分

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[[ファイル:たまほこのひ可里の表紙.jpg|thumb|『たまほこのひ可里』]]
[[ファイル:たまほこのひ可里の表紙.jpg|thumb|『たまほこのひ可里』]]


'''たまほこのひ可里'''(たまほこのひかり)は、[[佐藤紋次郎]](大本名・佐藤徳祥)が昭和18年に口述した小冊子。師の[[旭形亀太郎]]から託された[[孝明天皇]]宸筆の経綸書を[[出口王仁三郎]]に渡すために大本信者となったが、[[第二次大本事件]]で経綸書を焼却してしまった。そのため、その内容や経緯を思い出して記録したもの。和綴じ、本文40頁。
'''たまほこのひ可里'''(たまほこのひかり)は、[[佐藤紋次郎]](大本名・佐藤徳祥)が昭和18年に口述した小冊子。佐藤は師の[[旭形亀太郎]]から託された[[孝明天皇]]宸筆の経綸書を[[出口王仁三郎]]に渡すために大本信者となったが、[[第二次大本事件]]で経綸書を焼却してしまった。そのため、その内容や経緯を思い出して記録したもの。和綴じ、本文40頁。


本書には
本書には
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この御旗は28年後、つまり大本が開教した明治25年(1892年)8月17日に宮内省に返還され、御手元金百円が下附された。この事は『たまほこのひ可里』にだけ記されているのではなく、『[[照日乃影]]』にも記されており<ref>『照日乃影』内「旭形亀太郎小伝」3~4頁</ref>、御旗のイラストや宮内省からの領収書も口絵に掲載されている。また『[[史談会速記録]]』でも話題になっている。
この御旗は28年後、つまり大本が開教した明治25年(1892年)8月17日に宮内省に返還され、御手元金百円が下附された。この事は『たまほこのひ可里』にだけ記されているのではなく、『[[照日乃影]]』にも記されており<ref>『照日乃影』内「旭形亀太郎小伝」3~4頁</ref>、御旗のイラストや宮内省からの領収書も口絵に掲載されている。また『[[史談会速記録]]』でも話題になっている。


* <wp>錦の御旗</wp>
* {{wp|錦の御旗}}
* 国立公文書館デジタルアーカイブに掲載されている「[https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0602000000/0000000697/00 戊辰所用錦旗及軍旗真図4]」の「菊御紋紅大四半」(丈5尺7寸、幅5尺3寸)とデザインがほぼ同じである。
* 国立公文書館デジタルアーカイブに掲載されている「[https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0602000000/0000000697/00 戊辰所用錦旗及軍旗真図4]」の「菊御紋紅大四半」(丈5尺7寸、幅5尺3寸)とデザインがほぼ同じである。


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平成10年(1998年)に[[出口和明]]が[[熊野館]]で『たまほこのひ可里』と共に発見した数表(→[[#発見と公表]])は、縦横ともに9マスずつ、計81マスから成る表を用いた歴史年表のようなものである。
平成10年(1998年)に[[出口和明]]が[[熊野館]]で『たまほこのひ可里』と共に発見した数表(→[[#発見と公表]])は、縦横ともに9マスずつ、計81マスから成る表を用いた歴史年表のようなものである。


 →詳細は「[[数表]]」
 →詳細は「[[数表]]」「[[81]]」


== 発見と公表 ==
== 発見と公表 ==
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* [[数表]]
* [[数表]]
* [[昭和の女天一坊事件]]
* [[昭和の女天一坊事件]]
* [[鶴山霊石の神秘]]
* [[鶴山霊石の神秘]](霊石の奇蹟)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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[[Category:文献]]
[[Category:文献]]
[[Category:書籍]]
[[Category:書籍]]
[[Category:切紙神示]]