竹田城

竹田城(たけだじょう)は、兵庫県竹田にある城趾。虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれる。昭和7年に大本の所有となり、出口王仁三郎によって「愛善郷」と命名された。第二次大本事件によって大本の手を離れ竹田町(現・朝来市)の所有となった。現在は「天空の城」と称され観光地として有名である。
虎臥城は虎伏城と表記される場合がある。→「#名称」
概要
- 所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田
- 竹田城は標高353メートルの山の山頂に築かれた山城である。麓(竹田駅前)の標高は約100メートルなので、比高約250メートル。この山は「古城山」または「虎臥山(とらふすやま)」と呼ばれる。
- 竹田城は山名宗全の命令で築城された。1443年に完成し、1600年関ヶ原の戦いの後、廃城となった。現在は石垣だけの城趾になっている。
- 昭和7年(1932年)8月5日、竹田町有志が天恩郷を訪れ竹田城を大本に献納したいと申し出た[1]。王仁三郎は竹田城を「愛善郷」と命名した。また、山麓の邸宅を買い取り「竹田別院」を設置した。→詳細は「愛善郷」「竹田別院」
名称
竹田城は「虎臥城(とらふすじょう)」とも呼ばれている。それは虎臥山(とらふすやま)に建っているからである。山名は、虎が臥しているような山容をしていることに由来する。
和歌山城も、一文字異なるものの「虎伏城(とらふすじょう)」と呼ばれている。やはり虎伏山(標高49メートル、麓からの比高約35メートル)の山頂に建っているからである(山名の由来は虎臥山と同じ)。
虎臥と虎伏は意味も読み方も同じであるため、混用されている。つまり竹田城を虎伏城と表記したり、和歌山城が虎臥城と表記されたりしている。『大本竹田別院五十年誌』では「虎臥城」だが、『大本七十年史』では「虎伏城」と表記されている。大本関係文献に限らず、国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみると、混用されている。しかし竹田城を「虎臥城」、和歌山城を「虎伏城」と表記している場合が多いようである。
関連項目
外部リンク
- 竹田城跡公式ホームページ(朝来市公式ホームページ)
- 竹田城 - ウィキペディア(虎臥城)
- 和歌山城 - ウィキペディア(虎伏城)
- 岡城_(豊後国) - ウィキペディア:大分県竹田市にある岡城も別名が竹田城である。
脚注
- ↑ 『大本竹田別院五十年誌』76頁