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また、王仁三郎は[[第一次大本事件]]によって世間から誤解・圧迫を受けていたため、〈国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて〉いた。これも入蒙の副次的な目的であった。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕 | また、王仁三郎は[[第一次大本事件]]によって世間から誤解・圧迫を受けていたため、〈国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて〉いた。これも入蒙の副次的な目的であった。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕 | ||
=== 奉天にて === | |||
[[出口王仁三郎]]は[[松村真澄]]を連れてだた2人、2月13日午前3時28分綾部発の列車に乗った。秘密裏に準備を進めたため見送りは2人の信徒しかいなかった。亀岡駅で[[植芝盛平]]、[[名田音吉]]の2人が乗車し、京都駅に着いた。ここに[[矢野祐太郎]]が加わり5人で西行きの列車に乗った。 | |||
13日午後8時、下関で関釜連絡船「昌慶丸」に乗船し、14日午前8時、釜山港に上陸。10時発の朝鮮鉄道の列車に乗って奉天へ向かった。車内では本庄繁・陸軍少将<ref>入記・入蒙記では「本荘」だが正しくは「本庄」。大正10年から13年まで張作霖の軍事顧問を務めた。</ref>も同席した。(国境の安東から南満州鉄道に乗り換えて奉天へ) | |||
15日午後6時30分、[[奉天]]の三也商会<ref>入蒙記では「水也商会」。</ref>へ入る。先着していた[[北村隆光]]や[[萩原敏明]]も合流した。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕 | |||
王仁三郎は東三省陸軍中将・[[盧占魁]]と面会し、内外蒙古救援軍を組織することになった。そのために、 | |||
* まず[[張作霖]]の了解を得ること、 | |||
* 武器を購入すること、 | |||
* 大本喇嘛教を創立し、王仁三郎は達頼喇嘛(ダライラマ)となって盧占魁を従えて蒙古へ進むこと、 | |||
が決められた。〔{{rm|nm|8|聖雄と英雄}}〕 | |||
王仁三郎の奉天滞在中に盧占魁は、王仁三郎に救世主の資格があるかどうか観相家に調べさせた。王仁三郎の身体を仔細に調べた結果、三十三相を具備した天来の救世主だという観相家の説に盧占魁は随喜した。特に王仁三郎の掌中の四天紋、指頭の皆流紋、掌中に現れた釘の聖痕、背中のオリオン座の三ツ星のような黒子などを見て盧占魁は驚喜した。盧占魁はそれを現地の有力者や馬賊の頭目、張作霖の部下の将校等に示し、王仁三郎は天来の救世主だ、この救世主を頭に戴いて内外蒙古で活躍すれば成功間違いなしだと説いた。そのため王仁三郎は蒙古に入っても、全ての人々から非常な尊敬と信用を受けた。〔{{rm|nm|9|司令公館}}〕 | |||
== 略年表 == | == 略年表 == | ||