「高熊山修業」の版間の差分
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== 一回目の修業 == | == 一回目の修業 == | ||
一回目の高熊山修業の期間は一週間だが、その直後に自宅で一週間の床縛りの修業があった。 | |||
明治31年(1898年)2月28日(旧2月8日)夜、[[上田喜三郎]](王仁三郎の旧名)は[[若錦]]の一派に暴行を受けて重傷を負った。それを機に喜三郎は心を入れ替えた。<ref>{{rm|37|2|葱節}}</ref> | 明治31年(1898年)2月28日(旧2月8日)夜、[[上田喜三郎]](王仁三郎の旧名)は[[若錦]]の一派に暴行を受けて重傷を負った。それを機に喜三郎は心を入れ替えた。<ref>{{rm|37|2|葱節}}</ref> | ||
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{{inyou|神示のまにまに高熊山に出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であつた。汽車よりも飛行機よりも電光石火よりも、すみやかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であつた。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知し得るとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉し得られたのである。| 霊界物語{{rm|1|1|霊山修業}} }} | {{inyou|神示のまにまに高熊山に出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であつた。汽車よりも飛行機よりも電光石火よりも、すみやかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であつた。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知し得るとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉し得られたのである。| 霊界物語{{rm|1|1|霊山修業}} }} | ||
一方その頃、喜三郎の姿が見えなくなったことに気づいた家族や友人たちは、最初のうちは「喜三郎は若錦とのケンカで負けた憂さ晴らしに亀岡あたりに散財に行ったか、女のところにでも行ったのだろう」とあまり気に留めていなかった。しかし2~3日経っても帰って来ないため心配し、隣近所が大騒ぎになった。霊能者や易者に託宣してもらうと「喜三郎は自殺しそう」だとか「駆け落ちした」だとか「牧場の売り上げを持ち逃げした」などデタラメばかり言う。そうこうしているうちに、喜三郎が帰って来た。3月7日(旧2月15日)の正午前<ref>{{rm|37|6|手料理}}:〈七日目の如月十五日正午前〉</ref>のことであった。<ref name="rm3706">{{rm|37|6|手料理}}</ref> | |||
したがって、修業をしていた期間は3月1日夜から7日午前までの、実質5日半ほどになる。しかし足掛けで7日間のため、「一週間」修業したと表現される。 | したがって、修業をしていた期間は3月1日夜から7日午前までの、実質5日半ほどになる。しかし足掛けで7日間のため、「一週間」修業したと表現される。 | ||