「高熊山修業」の版間の差分

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喜三郎は高熊山にある岩窟の中で、寒天のもと襦袢1枚で、飲まず食わずで岩の上に無言で静座した。現界で二時間、神界で一時間の割合で修業をさせられた。その時に霊界で見聞したことを約24年後に口述したものが[[霊界物語]]である。この霊的修業は一週間続いた。<ref>{{rm|1|1|霊山修業}}~{{rms|1|5|霊界の修業}}</ref>
喜三郎は高熊山にある岩窟の中で、寒天のもと襦袢1枚で、飲まず食わずで岩の上に無言で静座した。現界で二時間、神界で一時間の割合で修業をさせられた。その時に霊界で見聞したことを約24年後に口述したものが[[霊界物語]]である。この霊的修業は一週間続いた。<ref>{{rm|1|1|霊山修業}}~{{rms|1|5|霊界の修業}}</ref>
この修業によって王仁三郎の霊的能力は飛躍的に向上した。
{{inyou|神示のまにまに高熊山に出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であつた。汽車よりも飛行機よりも電光石火よりも、すみやかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であつた。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知し得るとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉し得られたのである。| {{rm|1|1|霊山修業}} }}


一方その頃、喜三郎の姿が見えなくなったことに気づいた家族や友人たちは、最初のうちは「喜三郎は若錦とのケンカで負けた憂さ晴らしに亀岡あたりに散財に行ったか女のところにでも行ったのだろう」とあまり気に留めていなかった。しかし2~3日経っても帰って来ないため心配し、隣近所が大騒ぎになった。霊能者や易者に託宣してもらうと「喜三郎は自殺しそう」だとか「駆け落ちした」だとか「牧場の売り上げを持ち逃げした」などデタラメばかり言う。そうこうしているうちに、喜三郎が帰って来た。3月7日(旧2月15日)の正午前<ref>{{rm|37|6|手料理}}:〈七日目の如月十五日正午前〉</ref>のことであった。<ref name="rm3706">{{rm|37|6|手料理}}</ref>
一方その頃、喜三郎の姿が見えなくなったことに気づいた家族や友人たちは、最初のうちは「喜三郎は若錦とのケンカで負けた憂さ晴らしに亀岡あたりに散財に行ったか女のところにでも行ったのだろう」とあまり気に留めていなかった。しかし2~3日経っても帰って来ないため心配し、隣近所が大騒ぎになった。霊能者や易者に託宣してもらうと「喜三郎は自殺しそう」だとか「駆け落ちした」だとか「牧場の売り上げを持ち逃げした」などデタラメばかり言う。そうこうしているうちに、喜三郎が帰って来た。3月7日(旧2月15日)の正午前<ref>{{rm|37|6|手料理}}:〈七日目の如月十五日正午前〉</ref>のことであった。<ref name="rm3706">{{rm|37|6|手料理}}</ref>