「入蒙」の版間の差分

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また、王仁三郎は[[第一次大本事件]]によって世間から誤解・圧迫を受けていたため、〈国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて〉いた。これも入蒙の副次的な目的であった。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕
また、王仁三郎は[[第一次大本事件]]によって世間から誤解・圧迫を受けていたため、〈国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて〉いた。これも入蒙の副次的な目的であった。〔{{rm|nm|7|奉天の夕}}〕


=== 奉天にて ===
=== 綾部から奉天 ===
[[出口王仁三郎]]は[[松村真澄]]を連れてだた2人、2月13日午前3時28分綾部発の列車に乗った。秘密裏に準備を進めたため見送りは2人の信徒しかいなかった。亀岡駅で[[植芝盛平]]、[[名田音吉]]の2人が乗車し、京都駅に着いた。ここに[[矢野祐太郎]]が加わり5人で西行きの列車に乗った。
[[出口王仁三郎]]は[[松村真澄]]を連れてだた2人、2月13日午前3時28分綾部発の列車に乗った。秘密裏に準備を進めたため見送りは2人の信徒しかいなかった。亀岡駅で[[植芝盛平]]、[[名田音吉]]の2人が乗車し、京都駅に着いた。ここに[[矢野祐太郎]]が加わり5人で西行きの列車に乗った。