「綾部」の版間の差分
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綾部は江戸期維持前は「漢部」と書かれていた。この地には古代、渡来人集団の「漢部(あやべ)」が住んでいたと考えられている。他にも物部(もののべ)など古代の部民制を想起させる地名が多数残っている。和名抄(10世紀に編纂)には丹波国何鹿郡十六郷の一つ漢部郷として記されている。<ref>『京都府地名大辞典』上90頁、下465頁</ref> | 綾部は江戸期維持前は「漢部」と書かれていた。この地には古代、渡来人集団の「漢部(あやべ)」が住んでいたと考えられている。他にも物部(もののべ)など古代の部民制を想起させる地名が多数残っている。和名抄(10世紀に編纂)には丹波国何鹿郡十六郷の一つ漢部郷として記されている。<ref>『京都府地名大辞典』上90頁、下465頁</ref> | ||
* | * {{kb|漢氏}} | ||
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== 綾部の範囲 == | == 綾部の範囲 == | ||
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** 綾部村、坪内村、田野村、寺村、野田村、新宮村、神宮寺村、井倉村、井倉新町、青野村、中村、味方村 | ** 綾部村、坪内村、田野村、寺村、野田村、新宮村、神宮寺村、井倉村、井倉新町、青野村、中村、味方村 | ||
* 明治9年(1876年):[[坪内村]]と[[新宮村]]が合併し[[本宮村]]が誕生。<ref name="shishi_gekan_p26">『綾部市史 下巻』p26</ref> | * 明治9年(1876年):[[坪内村]]と[[新宮村]]が合併し[[本宮村]]が誕生。<ref name="shishi_gekan_p26">『綾部市史 下巻』p26</ref> | ||
* 明治14年(1881年):綾部村と本宮村の町分(繁華街)<ref>町分(まちぶん)… | * 明治14年(1881年):綾部村と本宮村の町分(繁華街)<ref>町分(まちぶん)…{{kb|町分}}</ref>が分離し、綾部町と本宮町が誕生。<ref name="shishi_gekan_p26" /> <ref>『綾部市史 下巻』p26では「明治十四年には綾部村から綾部町が、本宮村から本宮町が分離した」とあるが、『綾部町史』p147には「明治十一年綾部村を割いて綾部町を、本宮村を割いて本宮町を置いた」とあり、14年ではなく11年になっている。また『何鹿郡誌』p221では「明治十一年第一区綾部村、本宮村を綾部町、本宮町と改称し」とあり、分離ではなく改称だとしている。ここでは最新の史料である『綾部市史』に基づくことにした。</ref> | ||
* 明治15年(1882年):中村が綾中村に改称。<ref name="shishi_gekan_p26" /> <ref>何鹿郡内に同名の「中村」が3つあった(綾部、小畑、東八田)ため、綾部地区の中村は綾中村に、東八田地区の中村は中山村に改称した。</ref> | * 明治15年(1882年):中村が綾中村に改称。<ref name="shishi_gekan_p26" /> <ref>何鹿郡内に同名の「中村」が3つあった(綾部、小畑、東八田)ため、綾部地区の中村は綾中村に、東八田地区の中村は中山村に改称した。</ref> | ||
* 明治22年(1889年)4月:町村制施行により次の13町村が合併して綾部町が誕生する。<ref>『綾部市史 下巻』p39</ref> | * 明治22年(1889年)4月:町村制施行により次の13町村が合併して綾部町が誕生する。<ref>『綾部市史 下巻』p39</ref> | ||