「黄金山」の版間の差分
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オリーブと橄欖は別の植物であるが、見かけや利用法(種子から油を採る)が似ているため、明治初期にオリーブが橄欖と誤って訳され、オリーブ山が橄欖山と呼ばれるようになった。 | オリーブと橄欖は別の植物であるが、見かけや利用法(種子から油を採る)が似ているため、明治初期にオリーブが橄欖と誤って訳され、オリーブ山が橄欖山と呼ばれるようになった。 | ||
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+ | * 「'''橄欖樹'''常磐木(ときはぎ)しげる円山(まるやま)は日の神います第一天国」〔『愛善の道』〕 | ||
== 綾部の本宮山の別名 == | == 綾部の本宮山の別名 == | ||
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* 「椢は国の木とかいて、亜細亜の国々のどこにもある木である。橄欖山には橄欖と椢とが沢山ある」〔{{kgm|172|椢}}〕 | * 「椢は国の木とかいて、亜細亜の国々のどこにもある木である。橄欖山には橄欖と椢とが沢山ある」〔{{kgm|172|椢}}〕 | ||
* 「橄欖山は橄欖樹があるからである」〔新月の光0629「萩、さつき、山吹、桜、橄欖樹と橄欖山」〕 | * 「橄欖山は橄欖樹があるからである」〔新月の光0629「萩、さつき、山吹、桜、橄欖樹と橄欖山」〕 | ||
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+ | 王仁三郎は二回目の[[高熊山修行]]の際、[[国常立尊|国常立の神]]と[[稚姫君命]]に導かれ、[[最奥天国]]の'''黄金山'''に登り、「十字の宮」(長生殿)に入った。その時の様子を詠んだ歌が歌集『[[霧の海]]」に収録されている。→「[[長生殿 (旧)#最奥天国の長生殿]]」を参照 | ||
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2018年11月9日 (金) 15:10時点における最新版
黄金山(おうごんざん)は、霊界物語に登場する山。聖地エルサレムの傍らに聳え立つ橄欖山の別名[1]。三五教の発祥の地。本拠地[2]。
主に第1~5巻と第64巻上下では「橄欖山」、それ以外では「黄金山」と呼ばれている。
概要
- 初出:第6巻第27章「神生み」#
- 国祖隠退後の聖地エルサレムは、信仰が廃れ、八王大神常世彦は申し訳的に小さい宮を橄欖山の頂上に建設し、年に一回の祭典を行うのみとなった。[3]
- 黄金山麓に埴安彦神が現れて五大教を開き、霊鷲山麓で三葉彦神が開いた三大教と統一して三五教と改称する。[4]
- 黄金山は三五教の発祥の地として扱われ、「綾部の大本」というのと同じように「黄金山の三五教」と呼ばれている。[5]
- 第64巻上下で橄欖山は重要な舞台として何度も出て来る。
現実の黄金山 / 橄欖という名の由来
現実の橄欖山は、エルサレム旧市街の東にあるオリーブ山である。標高825mだがエルサレムの街自体が標高700mくらいの高地にあるため、麓からの高さはわずか数十メートルの小高い丘のような感じの山である。
昔からオリーブ畑になっていたため、オリーブ山と呼ばれるようになった。
旧約聖書や新約聖書にたびたび出て来る。キリスト教ではイエス・キリストが再臨する場所とされる重要な山である。
オリーブと橄欖は別の植物であるが、見かけや利用法(種子から油を採る)が似ているため、明治初期にオリーブが橄欖と誤って訳され、オリーブ山が橄欖山と呼ばれるようになった。
大本においては山桃が橄欖と呼ばれる場合がある。エルサレムのオリーブ山は綾部の本宮山に相応し、本宮山には山桃が沢山生えていたため、オリーブ→橄欖→山桃になったと思われる。たとえば次の王仁三郎の歌に詠まれている橄欖樹はオリーブでもなければカンランでもなく、山桃である。
綾部の本宮山の別名
本宮山や四尾山が「橄欖山」と呼ばれることがごくたまにある。たとえば次の文中の「橄欖山」は本宮山か四尾山のことだと思われる。
- 「椢は国の木とかいて、亜細亜の国々のどこにもある木である。橄欖山には橄欖と椢とが沢山ある」〔水鏡「椢」#〕
- 「橄欖山は橄欖樹があるからである」〔新月の光0629「萩、さつき、山吹、桜、橄欖樹と橄欖山」〕
最奥天国の黄金山
王仁三郎は二回目の高熊山修行の際、国常立の神と稚姫君命に導かれ、最奥天国の黄金山に登り、「十字の宮」(長生殿)に入った。その時の様子を詠んだ歌が歌集『霧の海」に収録されている。→「長生殿 (旧)#最奥天国の長生殿」を参照
脚注
関連項目
外部リンク
- オリーブ山 - ウィキペディア
- オリーブ - ウィキペディア …モクセイ科の常緑高木
- カンラン (カンラン科) - ウィキペディア …カンラン科の常緑高木
- 山桃 - ウィキペディア …ヤマモモ科の常緑樹