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高天閣
,'''高天閣'''(こうてんかく)は、[[亀岡]]の[[天恩郷]]にあった建物。最初は「'''神集殿'''(しんしゅうでん)」という名で建設され、後に「高天閣」と改称された。
== 概要 ==
* [[月宮殿]]のすぐ隣り(西隣)にあり、月宮殿と同時期に建設された。
* 王仁三郎の天恩郷における神務室・応接室に当てられた。<ref name="B195401c4446">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195401c4446|暁天の機運}}」</ref>
* 霊界物語[[天祥地瑞]]の口述場所として使われ、[[第73巻]]・[[第75巻]]の一部が口述されている。
== 略年表 ==
* 大正15年(1926年)3月31日、[[月宮殿]]と神集殿の敷地工事に着手。4月1日、神集殿の敷地整備に着手。<ref name="oomoto_nanpyo">「[[大本年表]]」</ref>
* 同年12月6日、神集殿の敷地の堀が完成。12月17日、神集殿の設計成る。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和2年(1927年)5月15日、地鎮祭。8月5日、斧始式。9月5日、立柱式。9月10日、上棟式。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和3年(1928年)2月7日、神集殿の遷座祭、竣成式。(翌2月8日、月宮殿の上棟式。10月30日、月宮殿が完成。)<ref name="oomoto_nanpyo" /> <ref name="B195401c4446" />
* 同年6月22日(旧5月5日)、神集殿を高天閣と改称。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和8年(1933年)10月27日(旧9月9日)、[[神島]]参拝。大正5年(1916年)の[[神島開き]]から18年目。この夜、綾部から高天閣に遷座してあった[[みろくの大神]]の神霊を、月宮殿に遷座する。<ref name="oomoto_nanpyo" /> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref>
* 昭和9年(1934年)5月15日、[[大八洲彦命]]神像を[[照明館]]から高天閣に遷座。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和11年(1936年)、[[第二次大本事件]]で破壊された。
== その他 ==
* 昭和3年(1928年)2月7日、高天閣に絨緞(絨毯)を敷くにあたって王仁三郎は次のように注意を与えている。「絨椴の色は天火結水地の順序によって、足の下に敷くから青はいけない。また赤白の縞もいけない。赤は太陽、白は月であるから、黄色か黒がよい。足の下に青や赤白の縞のものを敷くとひっくりかえる事が出来る。」〔新月の光<ref>新月の光0129「絨緞の色」</ref>〕
* 高天閣は[[宣統帝]](愛新覚羅溥儀)を迎えるために造ったと王仁三郎は語っている。〔新月の光<ref>新月の光1220「高天閣」(昭和21年8月22日の発言)</ref>〕
== 脚注 ==
<references/>
== 関連項目 ==
* [[月光亭]]:[[月宮殿]]と高天閣の神饌所。
{{デフォルトソート:こうてんかく}}
[[Category:大本の施設]]
[[Category:霊界物語の口述地]]
== 概要 ==
* [[月宮殿]]のすぐ隣り(西隣)にあり、月宮殿と同時期に建設された。
* 王仁三郎の天恩郷における神務室・応接室に当てられた。<ref name="B195401c4446">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195401c4446|暁天の機運}}」</ref>
* 霊界物語[[天祥地瑞]]の口述場所として使われ、[[第73巻]]・[[第75巻]]の一部が口述されている。
== 略年表 ==
* 大正15年(1926年)3月31日、[[月宮殿]]と神集殿の敷地工事に着手。4月1日、神集殿の敷地整備に着手。<ref name="oomoto_nanpyo">「[[大本年表]]」</ref>
* 同年12月6日、神集殿の敷地の堀が完成。12月17日、神集殿の設計成る。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和2年(1927年)5月15日、地鎮祭。8月5日、斧始式。9月5日、立柱式。9月10日、上棟式。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和3年(1928年)2月7日、神集殿の遷座祭、竣成式。(翌2月8日、月宮殿の上棟式。10月30日、月宮殿が完成。)<ref name="oomoto_nanpyo" /> <ref name="B195401c4446" />
* 同年6月22日(旧5月5日)、神集殿を高天閣と改称。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和8年(1933年)10月27日(旧9月9日)、[[神島]]参拝。大正5年(1916年)の[[神島開き]]から18年目。この夜、綾部から高天閣に遷座してあった[[みろくの大神]]の神霊を、月宮殿に遷座する。<ref name="oomoto_nanpyo" /> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref>
* 昭和9年(1934年)5月15日、[[大八洲彦命]]神像を[[照明館]]から高天閣に遷座。<ref name="oomoto_nanpyo" />
* 昭和11年(1936年)、[[第二次大本事件]]で破壊された。
== その他 ==
* 昭和3年(1928年)2月7日、高天閣に絨緞(絨毯)を敷くにあたって王仁三郎は次のように注意を与えている。「絨椴の色は天火結水地の順序によって、足の下に敷くから青はいけない。また赤白の縞もいけない。赤は太陽、白は月であるから、黄色か黒がよい。足の下に青や赤白の縞のものを敷くとひっくりかえる事が出来る。」〔新月の光<ref>新月の光0129「絨緞の色」</ref>〕
* 高天閣は[[宣統帝]](愛新覚羅溥儀)を迎えるために造ったと王仁三郎は語っている。〔新月の光<ref>新月の光1220「高天閣」(昭和21年8月22日の発言)</ref>〕
== 脚注 ==
<references/>
== 関連項目 ==
* [[月光亭]]:[[月宮殿]]と高天閣の神饌所。
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[[Category:大本の施設]]
[[Category:霊界物語の口述地]]