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たまほこのひ可里
,→発見と公表
平成10年(1998年)1月19日、王仁三郎昇天50年目の命日に、[[出口和明]]は[[熊野館]]で『たまほこのひ可里』を発見した(毛筆で書かれた和綴本であり、おそらくこれ1冊しか存在しないと思われる<ref>「切紙神示はどこから」27頁下段</ref>)。和明は中学生の頃、[[土井靖都]]から切紙神示を教わったが、その時に〈何かの大事件で孝明天皇の身に危険が迫った時、何とかいうお抱え力士が孝明天皇を抱き上げて避難させた。その褒美に孝明天皇から力士に切紙神示が伝えられた〉<ref>「切紙神示はどこから」21頁下段</ref>という話を聞いたが、それ以上詳しいことは知らなかった。
この時『たまほこのひ可里』が入っていた箱には、他に『[[照日乃影]]』(明治35年発行。玉鉾神社創建の記録であり旭形亀太郎の伝記である)、『孝明天皇和歌御会記及御年譜』(丹潔 』(明治35年発行。旭形亀太郎の伝記)、『孝明天皇和歌御会記及御年譜』(丹潔 編著、昭和14年発行、共盟閣)<ref>{{pid|1262121|孝明天皇和歌御会記及御年譜}}/他に昭和12年・博文書房、昭和18年・八弘書店が発行した本もある。</ref>、『正八位 旭形亀太郎小伝』(4頁のパンフレットで、『照日乃影』巻末にも収録されている)の計4冊の書物と、10枚の「[[数表]]」、新聞の切り抜きなどが入っていた。
出口和明は『たまほこのひ可里』を読んでその内容に驚き、[[愛善苑]]の機関誌『[[神の国]]』誌上で原文の一部と解説を発表した。機関誌上で『たまほこのひ可里』が公開されたのはおそらくこれが最初だと思われる。』誌上で原文の一部と解説を発表した。機関誌上で『たまほこのひ可里』が公開されたのはおそらくこれが最初だと思われる。掲載号は次の通り。いずれも平成10年(1998年)である。
* 4月号「誌上講座(12)切紙神示は誰がどこから」