東京毎夕新聞社
東京毎夕新聞社(とうきょうまいゆうしんぶんしゃ)は、東京の新聞社。一時期、出口王仁三郎が名誉社長を務め、大本傘下となった。

概要
略史
- 明治31年(1898年)2月1日、『毎夕新聞』創刊。日本における夕刊新聞の先駆けとなった。
- 経営者が何度か変遷し、明治34年(1901年)頃から木村政次郎の所有となる。以後昭和16年(1941年)の廃刊まで木村によって経営される。
- 木村政次郎(きむら まさじろう。実業家、政治家。1865~1949年)木村政次郎 - ウィキペディア
- 明治33年(1900年)『千代田日報』(明治32年4月3日創刊)と合併して『千代田毎夕』に改題。
- 明治34年(1901年)1月1日、(木村が所有したことにより)『毎夕新聞』に改題。
- 明治43年(1910年)9月26日、『東京毎夕新聞』に改題。
- 大正4年(1915年)、床次竹二郎が社長となる。
- 大正7年(1918年)10月、原内閣が成立し床次が内相として入閣したため退社。木村が社長となる。
- 昭和8年(1933年)8月29日、出口王仁三郎が名誉社長に就任。出口宇知麿が最高顧問に、御田村竜吉が理事として経営に参画し、人類愛善新聞記者が編集に携わるようになったため、事実上大本の機関新聞となった。[3]
- 同年12月、御田村が副社長、河津雄が主幹に就任。[3]
- 昭和9年(1934年)2月1日、東京毎夕新聞社に大神様奉斎。[4]
- 昭和10年(1935年)5月、完全に大本の経営となる。[3]
- 同年5月22日、人類愛善新聞社を東京毎夕新聞社と同じ建物に移転(東京市四谷区霞ヶ丘町16番地から日本橋区人形町1の14へ)。[3]
- 第二次大本事件以降も発刊を続けたが、最後まで勤務していた信者が昭和12年(1937年)に退社したため、大本との関係はなくなった。[5]
- 昭和16年(1941年)7月末で廃刊。[6](廃刊理由は不明)
参考文献
- 『新聞総覧 大正2年版』、NDLDL蔵書 PID:2390577/1/75
- 『日本百科大辞典 第7巻』大正5年、NDLDL蔵書 PID:898071/1/495
- 『新聞総覧 大正10年版』、NDLDL蔵書 PID:11619538/1/143
- 『日本新聞年鑑 昭和9年』、NDLDL蔵書 PID:1077331/1/176・NDLDL蔵書 PID:1077331/1/235
- 『新聞総覧 昭和10年』、NDLDL蔵書 PID:1129628/1/83
- 『新聞総覧 昭和11年』、NDLDL蔵書 PID:1113270/1/85
- 『新聞総覧 第33巻(昭和16年)』、NDLDL蔵書 PID:1086486/1/90
- 『新聞総覧 第34巻』、NDLDL蔵書 PID:1140579/1/53・NDLDL蔵書 PID:1140579/1/77
- 東京大学 明治新聞雑誌文庫 書誌詳細