埴安彦神・埴安姫神
(埴安姫神から転送)
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埴安彦神(はにやすひこのかみ)と埴安姫神(はにやすひめのかみ)は、霊界物語に登場する人物。三五教の創始者[1]。
埴安彦神は五大教の教主で、埴安姫神(旧名・三葉彦神[2])は三大教の教主であったが、二人は両教を統一して、三五教に改称した。
→埴安姫神の三葉彦神時代に関しては「三葉彦神」を見よ
概要
- 表記ゆれ:
- 初出:第6巻総説#、第6巻第29章「泣沢女」#
- 神界の神人の最も下層社会より埴安彦神が現れた[3]。
- 最も虐げられた人間の中より、埴安彦神と埴安姫神が現れた[4]。
- 埴安彦神は女神であり、埴安姫神は男神である。[2]
- 埴安彦神は混乱紛糾の世を救うため、黄金山の山麓で五大教を興した[5]。三葉彦神は霊鷲山の山麓で三大教を興した[6]。
- 埴安彦神・埴安姫神は、野立彦命・野立姫命の化身とか変化というような存在である。[7]
- 埴安彦神と埴安姫神は、出口直と王仁三郎を暗喩していると考えられる。
- 「埴(はに)」とは「質の緻密な黄赤色の粘土。昔はこれで瓦・陶器を作り、また、衣に摺りつけて模様を表した」〔広辞苑〕
主なエピソード
エデン川の岸辺で、五大教の宣伝使・東彦天使は、三大教の宣伝使・北光天使と出会った。黄金山の埴安彦神のもとに帰り、三大教の教義を語る。それを聞いて埴安彦神は大いに感じ、直ちに使いを霊鷲山に遣わして、三葉彦神を黄金山に迎えた。
二人は種々教理を問答し、互いに了解を得て、両教を統一し、三五教と改称した。三葉彦神は埴安姫神と改名して、女房役を務めることになった。〔以上、第6巻第36章「三五教」#〕
日本神話における埴安彦神と埴安姫神
両神は、イザナミが火の神を産んだ後、死ぬ直前に産まれた神々のうちの二柱。イザナミの屎(くそ)に成った神。「波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)」「波邇夜須毘売神」と表記される。日本書紀では、一書第二・第三では「埴山姫(はにやまひめ)」、一書第四では「埴山媛(はにやまびめ)」、一書第六では「埴安神(はにやすのかみ)」。
脚注
- ↑ 第6巻総説#:「埴安彦、埴安姫の二神司が地上に顕現して麻柱教を説き、宣伝使を任じて世界を覚醒し、神人の御魂の救済に尽さしめた」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 第6巻第36章「三五教」#:「而して埴安彦神は女神にして、三葉彦神は男神なり。ここに両教一致の結果、三葉彦神は名を改めて、埴安姫神となりて女房役を勤め、救ひの道を天下に宣伝することとなりぬ」
- ↑ 第6巻総説#:「こで神界の神人の最も下層社会より、所謂糞に成り坐すてふ埴安彦神が現はれて」
- ↑ 第6巻第30章「罔象神」#:「時にもつとも虐げられたる人間の中より、埴安彦神、埴安姫神の二神が現はれ」
- ↑ 第6巻第33章「五大教」#:「黄金山の麓に、この混乱紛糾の世を救ふべく、埴安彦といふ大神現はれて、五大教といふ教を立てられ」
- ↑ 第6巻第34章「三大教」#:「霊鷲山麓の玉の井の郷に現はれ出でたる三葉彦神の教理三大教を」
- ↑ 第29巻第16章「波の響」#:ヨブの歌「時節を待つて天教の 再び山に現はれて 野立の彦と名を変じ 埴安彦と現れまして」、第39巻第2章「評定」#:神素盞嗚大神の歌「野立の彦や野立姫 埴安彦や埴安姫の 神の命とあれまして 開き給ひし此道は」、第63巻第22章「蚯蚓の声」#:「野立の彦や野立姫 御霊(みたま)の変化(へんげ)在(ましま)して 埴安彦や埴安姫と 世に現はれて三五の 珍の教を垂れたまふ」、第65巻第25章「道歌」#:玉国別の歌「野立の彦の御化身 埴安彦の神様は」