「出口栄二」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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*昭和17年([[1942年]])秋、学徒動員で大学を繰り上げ卒業。
 
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* 昭和18年(1943年)夏、王仁三郎から栄二に、入り婿の話あり。
 
* 昭和18年(1943年)夏、王仁三郎から栄二に、入り婿の話あり。
*昭和20年([[1945年]])4月16日(旧3月5日)、[[出口直美]]と結婚。
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*昭和20年([[1945年]])4月16日(旧3月5日)、[[出口直美]]と結婚。([[出口操|操]]・[[出口光平|光平]]夫妻との合同での結婚式だった)<ref>『[[出口栄二選集]] 第四巻』p288、p290、p416、p477</ref> <ref>『[[第三次大本事件の真相]]』p47</ref>
 
*昭和33年([[1958年]])4月、[[出口宇知麿]]の後任として大本総長に就任。
 
*昭和33年([[1958年]])4月、[[出口宇知麿]]の後任として大本総長に就任。
 
*昭和37年([[1962年]])10月、大本総長を辞任。
 
*昭和37年([[1962年]])10月、大本総長を辞任。
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== 主な著書 ==
 
== 主な著書 ==
*『[[内外宗教の研究]]』、東通社出版部、1968年
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*『内外宗教の研究』、1968年、東通社出版部……p225~229で大本が紹介されている。
*『[[大本教事件]]』、三一書房、1970年
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*『[[大本教事件 (出口栄二の著書)|大本教事件]]』、1970年、[[三一書房]]
*『写真図説 [[民衆の宗教・大本]]』、学燈社、1970年
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*『[[写真図説 民衆の宗教・大本]]』、1970年、[[学燈社]]
 
*『[[大本七十年史]]』編纂
 
*『[[大本七十年史]]』編纂
*『[[出口栄二選集]]』全4巻、講談社、1979年
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*『[[出口栄二選集]]』全4巻、1979年、[[講談社]]
*『[[現代を駆る出口王仁三郎]]』、愛善世界社、1996年
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*『[[現代を駆る出口王仁三郎]]』、1996年、[[愛善世界社]]
*『[[王仁三郎精神に生きる]]』、愛善世界社、1999年
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*『[[王仁三郎精神に生きる]]』、1999年、[[愛善世界社]]
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2022年1月4日 (火) 23:17時点における最新版

出口栄二(でぐち えいじ)(1919 - 2006)は、出口直美の夫。旧姓・家口(やぐち)。

略歴

  • 大正8年(1919年)5月27日(旧4月28日)佐賀市で生まれる。母は家口いく
  • 昭和15年(1940年)4月、早稲田大学法学部に入学。
  • 昭和17年(1942年)秋、学徒動員で大学を繰り上げ卒業。
  • 昭和18年(1943年)夏、王仁三郎から栄二に、入り婿の話あり。
  • 昭和20年(1945年)4月16日(旧3月5日)、出口直美と結婚。(光平夫妻との合同での結婚式だった)[1] [2]
  • 昭和33年(1958年)4月、出口宇知麿の後任として大本総長に就任。
  • 昭和37年(1962年)10月、大本総長を辞任。
  • 昭和56年(1981年)9月、教団から追放される。
  • 同年12月8日、教団を相手取り地位確認等の訴訟を起こす。
  • 平成2年(1990年)10月、訴訟を取り下げる。
  • 平成18年(2006年)12月22日(旧11月3日)帰幽。87歳。

日本宗教学会員。

家族

  • 父は家口顕(やぐち あきら)。母は家口いく。母方の祖母は田中たま
  • 8人兄弟。上から、愛子(よしこ。昭和23年3月30日に死去)、文子(望月)、笑子(えみこ。死去-年月日不明)、省一(昭和15年9月11日に死去)、久子(森永)、栄二(出口)、喜代子(米川清吉と結婚[3])、和子(桜井)。[4]
  • 妻は出口直美
  • 子供に、出口直子、御遊、紫の3人の娘がいる。 →詳細は「出口直美#家族」を見よ

主な著書

脚注

  1. 出口栄二選集 第四巻』p288、p290、p416、p477
  2. 第三次大本事件の真相』p47
  3. 出口栄二選集 第四巻』p244
  4. 出口栄二選集 第四巻』p226

関連項目