土井靖都
土井靖都(どい やすくに、1883~1964年)は、大本の幹部。霊界物語の筆録者。筆名・土井大靖(どい ひろやす)[1]。
略歴
〔『神の国』平成10年(1998年)4月号「切紙神示はどこから」22~23頁、出口和明の発言に基づいて作成した〕
- 明治16年(1883年)生まれ。
- 東京帝大法学部独学科卒業。[2]
- 東京地検で検事をしていた大正8年(1919年)に初参綾。
- 大正9年(1920年)7月7日から亀岡に移住し、本部奉仕。
- 大正11年(1922年)、東大病院で看護婦長をしていた清江と結婚。
- 第二次大本事件で3年8ヶ月の獄中生活を送る。
- 昭和14年(1939年)夏に出所。亀岡の内丸町に住む。
- 昭和39年(1964年)1月9日帰幽、享年81歳。
- 出口和明によると土井の性格は〈潔癖症で、謹厳実直そのもの〉。
- 出口和明は小学生時代、土井夫人(土井清江)に懐いて、毎日のように内丸町の土井宅へ通っていた。〈私を育ててくれたのは、土井夫人の清江さんだった〉と述べている。
主な著述
- 土井大靖『仏説法滅尽経講義』昭和5年(1930年)
- 土井大靖『大本の出現とそのあかし』昭和7年(1932年)
- 土井靖都「歪められた大本教事件について─亀谷和一郎氏の評説に応う─」昭和29年(1954年)、月刊『現代人』収録 →「雑誌記事一覧#昭和(20年~39年)」
脚注
- ↑ 名前の読み方は『大本関東教区七十年史』p117による
- ↑ 典拠資料(『神の国』)には〈東京帝大法学部独学科〉と書かれているが、厳密に言えば、東京帝国大学法科大学法律学科でドイツ法を専攻した、ということだと思われる。『東京帝国大学一覧 明治42-43年』「学生生徒姓名」43頁