人類愛善会
人類愛善会(じんるいあいぜんかい)は、大正14年(1925年)に設立された大本の外郭団体。母体である大本教団は宗教的・内面的な活動を担い、人類愛善会は宗際的・国際的・社会的な活動を担う。



本項では主に、第二次大本事件までの人類愛善会について解説する。
概要
略史
人類愛善会の第二次大本事件までの活動の特徴として、① 新聞(人類愛善新聞)の発行、② 欧州・南米など海外での宣伝活動、③ 天災・人災の救済活動、の三点があげられる。
創立
人類愛善会の創立は、大正13年(1924年)の入蒙や、バハイ教や道院など諸宗教との提携という流れを汲んだものである。
大正14年(1925年)5月20日、北京において「世界宗教連合会」が設立された。また5月25日には「万国信教愛善会」が、日本国内における諸宗教の提携に基づく協力機関として発足した。王仁三郎は、特に海外の人々を広く包含する団体を作るよう幹部に指示し、6月5日にその団体の名称は「人類愛善会」と命名された。6月9日、綾部の五六七殿で人類愛善会の発会奉告祭が執行され、趣意書が発表されて、人類愛善会が発足した。[2]
当初は綾部の月光閣に総本部が置かれ、出口宇知丸(宇知麿)が委員長に就任。8月には総本部が亀岡に移り、10月には機関紙『人類愛善新聞』が創刊された。[2]
第一次世界大戦後、国際連盟が作られ、軍縮会議が何度も開かれたが、世界平和の根本的な解決にはならなかった。人類愛善新聞紙上で〈人類が、自己・家族・団体・国家・民族にたいする偏狭な愛にとらわれている間は、世界の平和は招来されない〉〈人類愛善の精神こそが平和の鍵である〉〈真の平和幸福をもたらすものは、国際連盟とか、軍備制限とかいふ形の上の取極めでなくて、人類の心の奥底、言ひかふれば、天地の自然に出発した此種の精神運動である〉〈と強調して、愛善の精神こそがその基本におかれねばならぬ〉と力説された。当時、マルクス主義が社会にだんだん広まり行く中で、人類愛善会は、人類が〈優勝劣敗や単純な唯物思想にとらわれているかぎり、反目と闘争がつづいて、平和な世界は建設されない〉〈「宇宙意志」による宗教的な愛善につちかわれなくては、平和と幸福の世界は実現できない〉と、人間の覚醒を訴え続けた。[2]
欧州での活動
人類愛善会が設立されて2日後の6月11日、西村光月宣伝使が欧州に派遣され神戸港から出航した。西村はジュネーブの万国エスペラント大会や、パリの万国平和主義者会議に出席し、人類愛善の趣旨を宣伝した。翌年(大正15年)1月には、パリでエス文の機関誌『国際大本(Oomoto Internacia)』を創刊。6月には日本式ローマ字新聞『日本人(Nippon-zin)』を発刊するなど、文書による世界宣伝を本格化させた。[5]
ドイツでは新精神運動団体「白旗団」と提携し、独文の宣伝冊子を発行するなど、ヨーロッパ各地に共鳴者を広げて行った。これにより、スイス、フランス、イタリア、チェコスロバキア、ブルガリア、ハンガリーなど多くの国に人類愛善会の支部が設置されて行った。[5]
人類愛善新聞の拡張
国内での宣教において最大の武器となったのが、大正14年(1925年)10月に創刊された『人類愛善新聞』である。当初は月刊だったが、後に旬刊となり、昭和5年(1930年)には東京へ進出した。王仁三郎は「人類愛善新聞が百万の購読者を得なければ、国内の愛善化は難しい」として新聞の拡張を指示し、信者や青年会員による「一部売り(街頭・戸別販売)」によって驚異的な普及を遂げた。昭和9年(1934年)3月には、当時の大手日刊紙を凌駕する発行部数100万部を達成した。新聞は、皇道精神の啓発だけでなく、農村の窮状救済や国防思想の普及など、当時の社会情勢に密着した論調を展開し、一般国民の間に広く浸透した。[6] [7] [8]
南米への進出
南米への展開も特筆すべきものがある。ブラジルでは大正13年(1924年)に移住した信者によって布教が始まり、病気お取次は現地の人々の間でも大きな評判となった。カトリックを国教とするブラジルの当局による圧迫を受けながらも、昭和8年(1933年)6月にはサンパウロ州政府から新精神運動団体として公認を受けるに至った。昭和9年(1934年)10月には、ブラジルのウベルランディアに神殿「愛神殿」が完成し、ポルトガル語による祝詞奏上など、現地社会に根ざした活動が展開された。メキシコでも各地に支部が設置された。[9] [10]
満州事変と社会的救済活動
昭和6年(1931年)9月に満州事変が勃発すると、人類愛善会は直ちに活動を活性化させた。聖師代理として派遣された出口日出麿は、世界紅卍字会と協力して難民救済や負傷兵の施療、食糧の配給などに尽力した。また、事変下の混乱の中で、回教シベリア協会、在理会(聖道理善会)、普清会、万国道徳会、世界大同仏教会といった現地の宗教・教化団体と次々と提携を結び、民族の垣根を超えた平和工作を推進した。昭和8年(1933年)には、満州の康平県において全県人が人類愛善会に集団入会し、各戸に愛善会章の表札が掲げられるといった現象も起きた。[11] [12] [13]
国内においても、昭和初年の農村恐慌や東北地方の凶作に際し、人類愛善会と昭和青年会は協力して義援金品の募集や救援米の送達を行った。特に「愛善陸稲」の栽培奨励は、飢餓にあえぐ農村の自活策として全国的に推進され、大きな成果を上げた。[14]
第二次大本事件により解散
昭和9年(1934年)7月、王仁三郎は「昭和神聖会」を創立した。これは人類愛善会、昭和青年会、昭和坤生会など大本の外郭団体を包括する国民運動団体であり、「祭政一致の確立」や「国防の充実と農村の隆昌」を掲げた。人類愛善会はこの神聖運動の実践部隊として組み込まれ、海軍軍縮条約廃止運動や天皇機関説排撃運動などの政治的・愛国的活動を強力に展開して行った。[15] [16]
しかし、このような急速な組織拡大と軍部・右翼との結びつきは治安当局の極度の警戒を招いた。昭和10年(1935年)12月8日、第二次大本事件が勃発し、王仁三郎を始め幹部が検挙される。翌昭和11年(1936年)3月、人類愛善会を含む関連諸団体(大本八団体)は治安警察法に基づき結社禁止・解散命令を受けた。
再結成
昭和21年(1946年)2月、大本は「愛善苑」として新発足する。愛善苑は、人類愛善運動の趣旨をそのまま実地に行う[17]という団体である。王仁三郎昇天後の昭和24年(1949年)10月、愛善苑は「大本愛善苑」に名称変更。同年12月に人類愛善会は再発足し、大本と人類愛善会の二本立ての活動体勢が確立した。
略年表
〔この年表は「大本年表」をもとに作成した(注記ある場合を除く)〕
- 大正14年(1925年)
- 大正15年(1926年)4月18日:人類愛善会第一回総会が光照殿で開かれる。規約が全面的に改正され、会章が制定された。王仁三郎が総裁に推戴され、宇知丸が会長に就任した。[19] [1]
- 昭和2年(1927年)10月31日:人類愛善会旗ができる。
- 昭和3年(1928年)
- 1月1日:『人類愛善新聞』が旬刊となる。
- 2月6日:人類愛善会総本部事務所を光照殿に移す。
- 4月21日:人類愛善会総裁旗(鰐皮製)ができる。
- 昭和5年(1930年)
- 昭和6年(1931年)
- 2月4日(節分祭):出口日出麿が、人類愛善新聞社長に就任。人類愛善会東洋本部長を兼ねる。
- 4月14日:ソ連の全露神霊協会の全会員5千人が人類愛善会に集団入会する。
- 8月25日(旧7月12日)(聖師更生祭):総本部を東京に移すことになる。人類愛善会の会章制定(会章は昭和8年3月29日に意匠登録)。規約一部改正[20]。
- 10月23日号:規約改正[21]
- 昭和7年(1932年)
- 昭和8年(1933年)8月11日:満洲国康平県の知事以下県民33万人が人類愛善会に入会。
- 昭和9年(1934年)
- 3月8日:『人類愛善新聞』同年3月3日号をもって発行部数100万部達成。
- 4月1日:規約改正
- 昭和10年(1935年)
- 8月28日:機構改正
- 12月8日:第二次大本事件
- 昭和11年(1936年)
- 昭和24年(1949年)12月8日:人類愛善会再発足。出口澄子(愛善苑二代苑主)が総裁、出口伊佐男(日出麿)が会長に就任。
趣意書
設立以降、「趣意書」に書かれた「主旨」や「規約」は何度か変更されている。次に引用する主旨は昭和初期に使われた主旨である。(「人類愛善会趣意書#」参照)
本会は人類愛善の大義を発揚し、全人類の親睦融和を来し、永遠に幸福と歓喜とに充てる光明世界を実現するため、最善の力を尽さんことを期するものである。
抑も人類は本来兄弟同胞であり、一心同体である。此本義に立帰らんとすることは、万人霊性深奥の要求であり、又人類最高の理想である。然るに近年世態急転して世道日に暗く、人心日に荒びて其帰趨真に憂ふベく、懼るベきものがある。斯くの如くにして進まんには世界の前途は思ひ知らるるのである。
されば吾等は此際躍進して、或は人種、或は宗教等総ゆる障壁を超越して人類愛善の大義にめざめ、此厄難より脱し更に進んで地上永遠の光明世界を建設しなければならぬ。是れ実に本会が茲に設立せられたる所以である。趣意書が書かれた文献として、次のものがある。
- 『人類愛善新聞』大正14年(1925年)10月1日(創刊号)p.1
- 『人類愛善新聞』大正15年(1926年)5月1日p.1、4月18日改定
- 『大本七十年史 下巻』「NDLDL蔵書 PID:B195401c4422」、4月18日改定
- 『人類愛善新聞』昭和2年(1927年)7月1日p.4
- 『人類愛善新聞』昭和3年(1928年)2月13日号p.3
- 『人類最高の理想運動』昭和5年(1930年)2月、pp.1-3、NDLDL蔵書 PID:1137803/1/3
- 『人類愛善新聞』昭和6年(1931年)9月3日p.2、8月25日改定
- 『人類愛善新聞』昭和6年(1931年)11月3日p.4、10月23日改定
- 『皇道大本事務便覧(三版)』昭和8年(1933年)3月、pp.153-158、昭和7年12月24日改定の規約、NDLDL蔵書 PID:1137512/1/95
ギャラリー
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満洲本部
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満洲事変当時の奉天における貧民救済活動
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奉天における撤兵反対デモ
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ブラジルで昭和13年に完成した神殿
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亀岡支部の旗
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東洋本部と人類愛善新聞社があった東京四谷霞ヶ丘町
関連項目
外部リンク
- 人類愛善会(公式サイト)
- NPO法人 人類愛善会インターナショナル
脚注
- ↑ 1.0 1.1 王仁三郎が総裁に就任した時期は諸説ある。→「トーク:人類愛善会」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 『大本七十年史 上巻』「発会と主旨#」
- ↑ 『出口王仁三郎全集 第五巻』「国難は国福なり#」
- ↑ 『惟神の道』「神の経綸#」
- ↑ 5.0 5.1 『大本七十年史 上巻』「宣伝使の欧州派遣#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「満州巡教と世界紅卍字会#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「多彩な大本#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「文書宣伝#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「海外の宣教#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「海外での発展#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「満州事変の突発#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「日出麿師の宣教と教化#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「内外多事#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「農村救済運動#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「天皇機関説と人類愛善新聞#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「諸団体の活動#」
- ↑ 『大本七十年史 下巻』「新生のまつり#」
- ↑ 『人類愛善新聞』大正14年(1925年)12月1日号、p.3
- ↑ 『大本七十年史 上巻』「規約改正と組織・活動#」
- ↑ 『人類愛善新聞』昭和6年9月3日号p.2に規約あり
- ↑ 『人類愛善新聞』昭和6年11月3日号p.4に規約あり