愛善陸稲

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
愛善陸稲の品評会で審査する出口王仁三郎。昭和10年10月、天恩郷更生館にて。

愛善陸稲(あいぜんりくとう)とは、大本が普及推進をしていた陸稲のこと。水田と比較して、様々な地勢・土質で収穫可能。昭和5年頃から始まる農業恐慌によって疲弊した農村に増収穫・増収入をもたらすとして人類愛善会等で普及活動が行われた[1]

概要

人類愛善会員の相原藤三郎や斎藤清らが出口王仁三郎の教示を基礎として研究した結果、愛善陸稲の栽培法を考案した。[1]

特長

  • 旱害、湿害、冷害によく堪える。
  • 山上、桑園、果樹園の間作で出来る。
  • 二毛作、三毛作が収穫可能。
  • 半日の日当たりで結実確実。
  • 水稲より1ヶ月乃至2ヶ月早く出来る。
  • 適当な時期に自由に分蘖[2]を防止し得るため、従来のように青立ち[3]とならない。
  • 肥料は自給肥料に重きを置き、僅かな金肥を使用するだけだから、農家経済に最も適合している。
  • いかなる痩せ地にも1反当たり2石以上の玄米収穫を得ることが容易である。[4]

〔『愛善陸稲耕作法』3頁をもとに作成。〕

関連資料

外部リンク

脚注

  1. 1.0 1.1 愛善陸稲栽培法』「序文」2~3頁
  2. ぶんけつ。枝分かれのこと。
  3. 穂が出ないこと。
  4. 2石は約300kg。現在の米の収穫量は一般に1反500kg前後。