大本事件
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大本事件(おおもとじけん)とは、国家権力による大本を対象とした宗教弾圧事件。大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)の二度起きている。王仁三郎昇天後に起きた教団内紛事件も大本事件と呼ぶ場合がある。
- 第一次大本事件:大正10年(1921年)2月12日、王仁三郎ら3名が不敬罪等の容疑で検挙される。王仁三郎は一審・二審とも懲役5年の判決を言い渡されるが、大正天皇の崩御による大赦令で昭和2年(1927年)5月に免訴となり、事件は終結した。
- 第二次大本事件:昭和10年(1935年)12月8日、王仁三郎ら数十名が不敬罪・治安維持法違反等の容疑で検挙される。以後、全国で検挙された信者は3千人以上、起訴された者は61人にも上った[1]。綾部・亀岡の聖地を始め全国の大本の施設は当局によって徹底的に破壊され、信者の宗教活動は禁止となり、近代日本宗教史上最大と言われる弾圧を受ける。王仁三郎は不敬罪で一審は無期懲役、二審では懲役5年の判決を受ける。第二次大戦後の昭和20年(1945年)9月8日に大審院で上告棄却の判決を受け原審が確定するが、GHQ指令[2]を実行するための大赦令によって10月17日に赦免となり[3]、事件は終結した。
- 第三次大本事件:1980年代に起きた内紛。教主(三代教主の出口直日)及び教団執行部の方針に対して2つの信徒グループが反対し、出口家を含め教団は三分裂する。執行部側は反対派の職員・信徒を教団から追放することで解決を図ろうとするが、追放された側から訴訟を起こされ事件は長期化する。「第三次大本事件」は追放された側での呼び方であり、追放した執行部側では「反教団事件」と呼んでいる。平成2年(1990年)教主昇天前後に全ての裁判は終了したが、事件が終結したかについては三者三様の見解がある。