「土井靖都」の版間の差分

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== 略歴 ==
== 略歴 ==
〔『[[神の国 (愛善苑)]]』平成10年(1998年)4月号「切紙神示はどこから」22~23頁、[[出口和明]]の発言に基づいて作成した〕
* 明治16年(1883年)広島県芦品郡河佐村(現・府中市の一部)で生まれる。<ref name="hiroshima70nenshi_p60">『[[大本広島本苑七十年誌]]』60頁:〈広島の信徒で異色なのは、広島県芦品郡河佐村で明治一六年に生まれた土井靖都氏である。東京帝国大学法学部を卒業したあと、台湾南州検察検事、また東京地方裁判所につとめていたが、大正八年、大本に入信し、翌大正九年七月に亀岡へうつり、そのまま、亀岡で大本の奉仕生活にはいる。〉:「台湾南州」というのは存在しないので「台南州」の誤りか?</ref>
* 明治16年(1883年)生まれ。
* 明治42年(1909年)7月、鹿児島の第七高等学校造士館 大学予科(独法文科)を卒業。<ref>官報 明治42年(1909年)7月7日、11頁、最上段、{{ndldl|2951159/1/6|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* 東京帝大法学部独学科卒業。<ref>典拠資料(『神の国』)には〈東京帝大法学部独学科〉と書かれているが、厳密に言えば、東京帝国大学法科大学法律学科でドイツ法を専攻した、ということだと思われる。『[https://dl.ndl.go.jp/pid/813185/1/266?keyword=%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD 東京帝国大学一覧 明治42-43年]』「学生生徒姓名」43頁</ref>
* 大正5年(1916年)5月、東京帝国大学法科大学 法律学科(独逸法兼修)卒業。<ref>官報 大正5年(1916年)7月12日、285頁、最下段、{{2953294/1/3|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref> <ref>『東京帝国大学一覧 従大正5年 至大正6年]』107頁、{{ndldl|940167/1/319|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* 東京地検で検事をしていた大正8年(1919年)に初参綾。
* (大正6~7年頃は東京市役所の事務員をしていたようだが定かでない)<ref>『職員録 大正6年乙』48頁、上段、{{ndldl|12301798/1/49|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}/『職員録 大正7年』701頁、下段、{{ndldl|12306417/1/379|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* 大正9年(1920年)7月7日から亀岡に移住し、本部奉仕。
* 大正8年(1919年)3月、司法官試補に任じられる。東京地裁・同検事局で事務修習。<ref>官報 大正8年(1919年)3月4日、3頁、最下段、{{ndldl|2954087/1/2|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* 大正11年(1922年)、東大病院で看護婦長をしていた清江と結婚。
* 大正8年(1919年)10月から翌年2月まで、東京区裁判所検事代理。<ref>官報 大正8年(1919年)10月2日、38頁、最上段、{{ndldl|2954262/1/4|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref> <ref>官報 大正9年(1920年)2月3日、4頁、最下段、{{ndldl|2954361/1/3|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* [[第二次大本事件]]で3年8ヶ月の獄中生活を送る。
* 大正8年に初参綾(月日不明)。<ref name="kaminokuni199804p22">『[[神の国 (愛善苑)]]』平成10年(1998年)4月号「切紙神示はどこから」22~23頁、[[出口和明]]の発言</ref>
* 昭和14年(1939年)夏に出所。亀岡の内丸町に住む。
* 大正9年(1920年)3月、司法官試補を依願退職。<ref>官報 大正9年(1920年)3月15日、338頁、中段、{{ndldl|2954395/1/3|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* 昭和39年(1964年)1月9日帰幽、享年81歳。
* 大正9年(1920年)7月7日から亀岡に移住し、本部奉仕。<ref name="kaminokuni199804p22" />
* [[出口和明]]によると土井の性格は〈潔癖症で、謹厳実直そのもの〉。
* 大正10年(1921年)8月、京都で弁護士登録。<ref>官報 大正10年(1921年)8月23日、9頁、上段、{{ndldl|2954834/1/5|%E5%9C%9F%E4%BA%95%E9%9D%96%E9%83%BD}}</ref>
* 出口和明は小学生時代、土井夫人(土井清江)に懐いて、毎日のように内丸町の土井宅へ通っていた。〈私を育ててくれたのは、土井夫人の清江さんだった〉と述べている。
* 大正11年(1922年)、東大病院で看護婦長をしていた清江と結婚。<ref name="kaminokuni199804p22" />
* 昭和10年(1935年)12月8日、[[第二次大本事件]]勃発。土井は東京の紫雲郷別院で検挙される。<ref>東京朝日新聞 {{obc|NPTAc19351208G1|昭和10年12月8日号外}}</ref>
* 昭和14年(1939年)夏に出所。亀岡の内丸町に住む。<ref name="kaminokuni199804p22" />
* 昭和39年(1964年)1月9日帰幽、享年81歳。<ref name="kaminokuni199804p22" />
* [[出口和明]]によると土井の性格は〈潔癖症で、謹厳実直そのもの〉。<ref name="kaminokuni199804p22" />
* 出口和明は小学生時代、土井夫人(土井清江)に懐いて、毎日のように内丸町の土井宅へ通っていた。〈私を育ててくれたのは、土井夫人の清江さんだった〉と述べている。<ref name="kaminokuni199804p22" />


== 主な著述 ==
== 主な著述 ==