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** [[盧占魁]]を総司令とする[[西北自治軍]]の人員は、6月3日に[[上木局子]]から[[興安嶺]]の聖地への行軍を開始した時点で騎馬兵500、馬がなくて牛車に乗る兵300余の、計800余名であった<ref>{{rm|nm|28|行軍開始}}章末</ref>。
** [[盧占魁]]を総司令とする[[西北自治軍]]の人員は、6月3日に[[上木局子]]から[[興安嶺]]の聖地への行軍を開始した時点で騎馬兵500、馬がなくて牛車に乗る兵300余の、計800余名であった<ref>{{rm|nm|28|行軍開始}}章末</ref>。
** [[パインタラ]]で捕まった日本人は[[王仁三郎]]、[[松村真澄]]、[[植芝盛平]]、[[井上兼吉]]、[[萩原敏明]]、[[坂本広一]]の6名。
** [[パインタラ]]で捕まった日本人は[[王仁三郎]]、[[松村真澄]]、[[植芝盛平]]、[[井上兼吉]]、[[萩原敏明]]、[[坂本広一]]の6名。
* ルート:
** 綾部から汽車で京都へ。京都から下関へ。連絡船で釜山へ渡る。朝鮮鉄道で奉天へ。
** [[奉天]]から自動車で[[洮南]]《とうなん》へ。これ以降は馬で移動となる。王仁三郎は轎車《きょうしゃ》(箱形の馬車)に乗る。[[興安嶺]]《こうあんれい》の聖地を目指し西進するが、途中で進路が変わり南下する。[[パインタラ]]で支那軍に捕まる。
** 日本領事館に引き渡され大連へ。船で門司へ。汽車で大阪へ行き、収監される。


== 略史 ==
== 略史 ==