「第一次大本事件」の版間の差分

タグ: 差し戻し済み
53行目: 53行目:
大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)未明、武装警官200人が動員され、綾部・亀岡・京都など20数カ所に対して一斉に家宅捜索が行われた。
大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)未明、武装警官200人が動員され、綾部・亀岡・京都など20数カ所に対して一斉に家宅捜索が行われた。


【幹部の逮捕】[[出口王仁三郎]]は大阪梅田の[[大正日日新聞社]]で社長として執務中に、[[浅野和三郎]]と[[吉田祐定]]は綾部の自宅でそれぞれ逮捕され、京都監獄<ref>大正11年11月「京都刑務所」に改称。</ref>の未決監に収容された。
【幹部の逮捕】[[出口王仁三郎]]は大阪梅田の[[大正日日新聞社]]で社長として執務中に、[[浅野和三郎]]と[[吉田祐定]]は綾部の自宅でそれぞれ逮捕され、京都監獄<ref>大正11年11月「京都刑務所」に改称。</ref>の未決監に収容された。(吉田は4月19日に保釈出獄、王仁三郎と浅野は6月17日に責付出獄した)


【大規模な捜索】警察は綾部で筆先の原本や写真、往復書簡、さらには神体の一部や日本刀、多額の現金などを押収した。捜索は厳重を極め、畳を剥がし、床下まで点検が行われた。特に黄金閣の地下室などは、世間に噂が広まっていた「生き埋め」や「紙幣偽造」の証拠を探すために徹底的に調査された。しかし怪しいものは何も発見されなかった。
【大規模な捜索】警察は綾部で筆先の原本や写真、往復書簡、さらには神体の一部や日本刀、多額の現金などを押収した。捜索は厳重を極め、畳を剥がし、床下まで点検が行われた。特に黄金閣の地下室などは、世間に噂が広まっていた「生き埋め」や「紙幣偽造」の証拠を探すために徹底的に調査された。しかし怪しいものは何も発見されなかった。