「第一次大本事件」の版間の差分
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== 特徴 == | == 特徴 == | ||
* 第一次世界大戦やスペイン風邪など大きな社会不安が渦巻く中、終末予言([[大本神諭]])や霊能力([[鎮魂帰神]])というオカルト的魅力で信者を急増させて行った大本に対し、既存の体制を守ろうとする政治家・宗教家や治安当局が危機感を募らせ、大本弾圧へ動いた。 | * 第一次世界大戦やスペイン風邪など大きな社会不安が渦巻く中、終末予言([[大本神諭]])や霊能力([[鎮魂帰神]])というオカルト的魅力で信者を急増させて行った大本に対し、既存の体制を守ろうとする政治家・宗教家や治安当局が危機感を募らせ、大本弾圧へ動いた。 | ||
* | * 検挙されたのは王仁三郎、[[浅野和三郎]]、[[吉田祐定]]のわずか3人に過ぎなかったが、当局は武装した警官200人を動員するという物騒さで検挙・家宅捜索に乗り込んだ。それは大本が暴力による政府転覆をたくらんでおり信者が武器で抵抗してくると曲解したからである。実際には誰も抵抗せず、銃器は何も発見されず、当局の一人相撲に終わった。 | ||
* 弾圧は幹部3人の逮捕・証拠品の押収だけでなく、神殿や墓地の解体・改築の強制という形でも行われた。当局は、完成したばかりの[[本宮山神殿]]を取り壊すよう命じた。また、開祖の[[奥都城]]が桃山御陵に似ているという口実で改築を命じた。これは信仰の中心となる施設を破壊することで大本に打撃を加えようとしたのである。→「[[本宮山神殿#取毀]]」「[[奥都城#改築]]」 | * 弾圧は幹部3人の逮捕・証拠品の押収だけでなく、神殿や墓地の解体・改築の強制という形でも行われた。当局は、完成したばかりの[[本宮山神殿]]を取り壊すよう命じた。また、開祖の[[奥都城]]が桃山御陵に似ているという口実で改築を命じた。これは信仰の中心となる施設を破壊することで大本に打撃を加えようとしたのである。→「[[本宮山神殿#取毀]]」「[[奥都城#改築]]」 | ||
* 出口王仁三郎は[[不敬罪]]で懲役5年の判決を受けた。これは思想犯罪としては極刑である<ref>刑法第73~76条(昭和22年に削除)の規定では、天皇・皇族の身体に危害を加えた場合は死刑または無期懲役となるが、それ以外の不敬行為については懲役5年が最高刑である。[https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95_(%E5%85%AC%E5%B8%83%E6%99%82)#s2-1 刑法 (公布時)] - ウィキソース</ref>。だが、大審院で審理中に大正天皇の崩御に伴う[[大赦令]]によって免訴となり法的に無罪となった。 | * 出口王仁三郎は[[不敬罪]]で懲役5年の判決を受けた。これは思想犯罪としては極刑である<ref>刑法第73~76条(昭和22年に削除)の規定では、天皇・皇族の身体に危害を加えた場合は死刑または無期懲役となるが、それ以外の不敬行為については懲役5年が最高刑である。[https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95_(%E5%85%AC%E5%B8%83%E6%99%82)#s2-1 刑法 (公布時)] - ウィキソース</ref>。だが、大審院で審理中に大正天皇の崩御に伴う[[大赦令]]によって免訴となり法的に無罪となった。 | ||