「第一次大本事件」の版間の差分
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大正初期、大本は丹波の綾部の小さな地方教団に過ぎなかったが、第一次世界大戦の変動期において急成長を遂げた。大正6年(1917年)に機関誌『[[神霊界]]』を発刊し「[[大正維新]]」をスローガンに大々的な宣伝活動を展開した結果、大正8年に2万5千人と言われた信者が1年間で30万人に達したと言われるほど信者が急増した<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3111|事件のあらまし}}」:〈一九一九(大正八)年に二万五千人であった信者が一年間で三〇万人と号するにいたったといい〉:ただしこれは弾圧を行った当局側の数字であって(大本を危険視するため勢力を誇大に見せている)、実際の信者数はこれよりはるかに少なかったようである。</ref>。 | 大正初期、大本は丹波の綾部の小さな地方教団に過ぎなかったが、第一次世界大戦の変動期において急成長を遂げた。大正6年(1917年)に機関誌『[[神霊界]]』を発刊し「[[大正維新]]」をスローガンに大々的な宣伝活動を展開した結果、大正8年に2万5千人と言われた信者が1年間で30万人に達したと言われるほど信者が急増した<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3111|事件のあらまし}}」:〈一九一九(大正八)年に二万五千人であった信者が一年間で三〇万人と号するにいたったといい〉:ただしこれは弾圧を行った当局側の数字であって(大本を危険視するため勢力を誇大に見せている)、実際の信者数はこれよりはるかに少なかったようである。</ref>。 | ||
この時期、日本社会は激動の中にあった。第一次世界大戦(大正3~7年)による大戦景気(同4~9年)と戦後恐慌(同9年)、物価騰貴に伴う米騒動(同7年)、労働運動や社会主義思想の台頭<ref>大正6年(1917年)にロシア革命が起きてソ連邦が誕生している。</ref>、スペイン風邪の大流行(同7~10年)などにより、深刻な社会不安が生じていた。原敬内閣(同7~10年)や警察当局は、こうした人心の動揺を背景に、既存の宗教や教育が力を失う中で、大本が急速に勢力を拡大していることを非常に危険視していた。 | |||
特に大本が説く「[[立替え立直し]]」という現状打破の思想や、知識人・軍人層が続々と入信して行く状況は、政府にとって国家転覆の陰謀や危険思想の温床に見えた。 | 特に大本が説く「[[立替え立直し]]」という現状打破の思想や、知識人・軍人層が続々と入信して行く状況は、政府にとって国家転覆の陰謀や危険思想の温床に見えた。 | ||