「第一次大本事件」の版間の差分
ページの作成:「{{kakikake}} thumb|100px|正月五日天 '''第一次大本事件'''(だいいちじおおもとじけん)とは、大正10年に政府が大本を弾圧した事件。当局は出口王仁三郎ら3人を不敬罪等で検挙し、本宮山神殿を不当な命令で破却した。王仁三郎に懲役5年の判決が出たが、昭和2年に免訴となり、法的に無罪となって事件は終結した。…」 |
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[[ファイル:正月五日天.jpg|thumb|100px| | [[ファイル:正月五日天.jpg|thumb|100px|「正月五日天」の書。王仁三郎が第一次大本事件を予言したものだと言われる。]] | ||
'''第一次大本事件'''(だいいちじおおもとじけん)とは、大正10年に政府が[[大本]]を弾圧した事件。当局は[[出口王仁三郎]]ら3人を不敬罪等で検挙し、[[本宮山神殿]]を不当な命令で破却した。王仁三郎に懲役5年の判決が出たが、昭和2年に免訴となり、法的に無罪となって事件は終結した。 | '''第一次大本事件'''(だいいちじおおもとじけん)とは、大正10年に政府が[[大本]]を弾圧した事件。当局は[[出口王仁三郎]]ら3人を不敬罪等で検挙し、[[本宮山神殿]]を不当な命令で破却した。王仁三郎に懲役5年の判決が出たが、昭和2年に免訴となり、法的に無罪となって事件は終結した。 | ||
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─一斉検挙と家宅捜索─ | ─一斉検挙と家宅捜索─ | ||
大正10年(1921年)2月12日(旧1月5日)未明、武装警官200人が動員され、綾部・亀岡・京都など20数カ所に対して一斉に家宅捜索が行われた。 | |||
【幹部の逮捕】[[出口王仁三郎]]は大阪梅田の[[大正日日新聞社]]で社長として執務中に、[[浅野和三郎]]と[[吉田祐定]]は綾部の自宅でそれぞれ逮捕され、京都監獄<ref>大正11年11月「京都刑務所」に改称。</ref>の未決監に収容された。 | 【幹部の逮捕】[[出口王仁三郎]]は大阪梅田の[[大正日日新聞社]]で社長として執務中に、[[浅野和三郎]]と[[吉田祐定]]は綾部の自宅でそれぞれ逮捕され、京都監獄<ref>大正11年11月「京都刑務所」に改称。</ref>の未決監に収容された。 | ||
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しかし、この事件は大本に深い傷跡を残した。教団内では、現実的な立替え説を信じていた浅野派の離脱や、組織の再編が行われた。その一方で、この苦難の時期に王仁三郎は新たな教典となる『[[霊界物語]]』の口述を開始しており、教団は沈滞を余儀なくされつつも、次なる発展への基盤を模索することになった。 | しかし、この事件は大本に深い傷跡を残した。教団内では、現実的な立替え説を信じていた浅野派の離脱や、組織の再編が行われた。その一方で、この苦難の時期に王仁三郎は新たな教典となる『[[霊界物語]]』の口述を開始しており、教団は沈滞を余儀なくされつつも、次なる発展への基盤を模索することになった。 | ||
== 略年表 == | |||
【大正10年(1921年)辛酉】 | |||
* 2月12日(旧1月5日)(土曜):[[出口王仁三郎]]、[[浅野和三郎]]、[[吉田祐定]](『[[神霊界]]』発行兼編集人)の3名が検挙された。王仁三郎は大阪・梅田の[[大正日日新聞社]]で、浅野と吉田はそれぞれ綾部で検挙された。容疑は[[不敬罪]]と[[新聞紙法]]違反である。 | |||
* 4月19日:吉田が保釈出獄。 | |||
* 5月10日:予審が終結する。新聞記事差止解禁。各紙が大本事件を大々的に報じる。 | |||
* 5月11日:予審決定<ref>予審決定とは予審の判決のようなもの。</ref>が発表される(公判に付すという決定)。 | |||
* 6月17日:王仁三郎と浅野が責付出獄。126日間の獄中生活が終わる。 | |||
* 6月25日:京都府警察部長・[[藤沼庄平]]から、[[開祖奥都城]]を今月中に改築するよう命じられる。 | |||
* 6月26日:開祖奥都城改修工事の奉告祭。28日に着工、7月23日に工事終了。 | |||
* 7月27日:神示によって[[本宮山神殿]]に、御三体の大神様仮鎮座の祭典執行。 | |||
* 9月16日:一審公判が京都地裁で始まる。 | |||
* 10月5日:一審判決。王仁三郎は不敬罪で懲役5年。直ちに控訴。 | |||
* 10月11日:王仁三郎は京都府庁で[[本宮山神殿]]取毀命令を受ける。 | |||
* 10月14日:大改革発表。王仁三郎と二代教主は隠退し、直日が三代教主に就任。「[[皇道大本]]」を「大本」に改称。 | |||
* 10月17日<ref>七十年史などでは16日になっている。「[[霊界物語#著述の動機]]」の脚注参照。</ref>:開祖の神霊が王仁三郎に霊界の消息の発表を厳しく督促。 | |||
* 10月18日(旧9月18日):霊界物語口述開始。 | |||
* 10月20日:本宮山神殿取毀工事開始。27日に工事完了。 | |||
【大正11年(1922年)】 | |||
* 6月21日:二審公判が大阪控訴院で始まる。 | |||
【大正13年(1924年)】 | |||
* 2月13日:王仁三郎は[[入蒙]]の途に就く。 | |||
* 6月21日:[[パインタラの法難]]。 | |||
* 7月17日:17日付で大阪控訴院が王仁三郎の責付を取り消す。 | |||
* 7月21日:二審判決。王仁三郎は一審通り懲役5年。直ちに上告。 | |||
* 7月25日:王仁三郎は門司に到着。 | |||
* 7月27日:王仁三郎は大阪で再び入監。 | |||
* 11月1日(旧10月5日):王仁三郎は保釈され帰綾。98日間の獄中生活が終わる。 | |||
【大正14年(1925年)】 | |||
* 7月10日:大審院は前判決を破棄して事実審理と決定。 | |||
【昭和2年(1927年)】 | |||
* 5月17日:[[大赦令]]により原審破棄免訴。 | |||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||