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== 第二次大本事件 == | == 第二次大本事件 == | ||
昭和10年(1935年)12月8日、王仁三郎ら数十名が不敬罪・治安維持法違反等の容疑で検挙される。以後、全国で検挙された信者は3千人以上、起訴された者は61人にも上った<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c6542|第二次大本事件}}」:「全国で三〇〇〇人をこえた検挙者のなかから、幹部六一人が起訴されたが」</ref> | 昭和10年(1935年)12月8日、王仁三郎ら数十名が不敬罪・治安維持法違反等の容疑で検挙される。以後、全国で検挙された信者は3千人以上、起訴された者は61人にも上った<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c6542|第二次大本事件}}」:「全国で三〇〇〇人をこえた検挙者のなかから、幹部六一人が起訴されたが」</ref>。綾部・亀岡の聖地を始め全国の大本の施設は当局によって徹底的に破壊され、信者の宗教活動は禁止となり、近代日本宗教史上最大と言われる弾圧を受ける。王仁三郎は不敬罪で一審は無期懲役、二審では懲役5年の判決を受ける。第二次大戦後の昭和20年(1945年)9月8日に大審院で上告棄却の判決を受け原審が確定するが、[[昭和二十年勅令第五百七十九号|GHQの人権指令を実行するための大赦令]]によって10月17日に赦免となり、事件は終結した。 →詳細は「[[第二次大本事件]]」 | ||
* 昭和13年4月30日、出口王仁三郎の予審終結。 | * 昭和13年4月30日、出口王仁三郎の予審終結。 | ||
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== 第三次大本事件 == | == 第三次大本事件 == | ||
1980年代に起きた内紛。教主(三代教主の[[出口直日]] | 1980年代に起きた内紛。教主(三代教主の[[出口直日]])及び教団執行部の方針に対して二つの信徒グループが反対し、出口家を含め教団は三分裂した。執行部側は反対派の職員・信徒を教団から追放することで解決を図ろうとするが、追放された側から訴訟を起こされ事件は長期化する。「第三次大本事件」は追放された側での呼び方であり、追放した執行部側からは「'''反教団事件'''」と呼ばれている。平成2年(1990年)三代教主昇天前後に全ての裁判は終了したが、事件が終結したかについては三者三様の見解がある。 →詳細は「[[第三次大本事件]]」 | ||
== 脚注 == | == 脚注 == |