「ビクの国」の版間の差分
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* 表記ゆれ:ビク国、ビク王国 (ビクトリヤ国と呼ばれることはない) <ref>使用回数は、ビクの国70回、ビク国3回、ビク王国1回</ref> | * 表記ゆれ:ビク国、ビク王国 (ビクトリヤ国と呼ばれることはない) <ref>使用回数は、ビクの国70回、ビク国3回、ビク王国1回</ref> | ||
* 初出:{{rm|53|2|蜉蝣}}(ビク国) | * 初出:{{rm|53|2|蜉蝣}}(ビク国) | ||
* ビクの国は、[[ライオン河]]の下流にある[[ビクトル山]]を中心として、東西10里、南北15里<ref>「三十六町一里」と括弧書きしてあるが、これは1里の日本での一般的な長さである。1町(丁)=109mで計算すると36町は3924mになる。{{kb|里 | * ビクの国は、[[ライオン河]]の下流にある[[ビクトル山]]を中心として、東西10里、南北15里<ref>「三十六町一里」と括弧書きしてあるが、これは1里の日本での一般的な長さである。1町(丁)=109mで計算すると36町は3924mになる。{{kb|里}}</ref>の余り広くない国。<ref>{{rm|53|2|蜉蝣}}:「ライオン河の下流ビクトル山を中心として、此処はウラル教を信ずるビクトリヤ王が刹帝利として近国の民を守つてゐた。此王国は東西十里、南北十五里(三十六町一里)の余り広からぬ国であつた」</ref> | ||
* 東に[[ライオン河]]、西に[[ビクトル山]]がある。<ref>{{rm|53|22|天祐}}:「音に名高きビクの国 東にライオン川を負ひ 西にビクトル山控へ 要害堅固の鉄城を ここに築きて永久に 百の国民治めます ビクトリヤ王の御居城」</ref> | * 東に[[ライオン河]]、西に[[ビクトル山]]がある。<ref>{{rm|53|22|天祐}}:「音に名高きビクの国 東にライオン川を負ひ 西にビクトル山控へ 要害堅固の鉄城を ここに築きて永久に 百の国民治めます ビクトリヤ王の御居城」</ref> | ||
* ビクの国は月の国の西端にあると思われる。[[シメジ峠]]を挟んで[[フサの国]]の[[玉木村]]とビクの国は隣接している。<ref>根拠は「[[シメジ峠]]」を見よ</ref> | * ビクの国は月の国の西端にあると思われる。[[シメジ峠]]を挟んで[[フサの国]]の[[玉木村]]とビクの国は隣接している。<ref>根拠は「[[シメジ峠]]」を見よ</ref> | ||
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== その他 == | == その他 == | ||
* | * 「[[比丘]]」という言葉はビクの国に由来する。[[鬼春別]]将軍ら4人が頭を丸めて三五教を宣伝する修験者となったが、頭髪を剃って宣伝に回るようになったのはこの4人が最初であり、ビクの国から始まったため、頭を丸めて宣伝する聖者を、後世「[[比丘]]」と呼ぶようになった。<ref>{{rm|55|22|比丘}}章末:「偖治道、道貫、素道、求道の四人の修験者は刹帝利の依頼に依つて玉の宮の守護役となり、頭を丸めて三五の教を四方に宣伝し、代る代る各地に巡錫して衆生済度に一生を捧たり。頭髪を剃り落し教を宣伝に廻つたのは、此四人が嚆矢である。而してビクの国の玉の宮から始まつたのだから、後世頭を丸め衣を着て宣伝する聖者を比丘と名づくる事となつたのである。」</ref> | ||
* 「ビクトリヤ」と「ビクトリヤ」の表記のゆれについては「[[ビクトリヤ#ビクトリヤとビクトリヤ]] | * 「ビクトリヤ」と「ビクトリヤ」の表記のゆれについては「[[ビクトリヤ#ビクトリヤとビクトリヤ]]」参照 | ||
== 関連項目 == | |||
* [[ビクトリヤ]] | |||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
<references/> | <references/> | ||
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[[Category:霊界物語の国]] | [[Category:霊界物語の国]] | ||