「瑞泉苑」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
(同じ利用者による、間の14版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
[[ファイル: | [[ファイル:玉水殿.jpg|thumb|玉水殿]] | ||
[[ファイル: | [[ファイル:穴太神聖歌碑(一).jpg|thumb|150px|神聖歌碑]] | ||
[[ファイル:穴太神聖歌碑(二).jpg|thumb|神聖歌碑]] | |||
[[ファイル:玉の井.jpg|thumb|200px|玉の井]] | |||
'''瑞泉苑'''(ずいせんえん)は、[[穴太]](現在の亀岡市曽我部町穴太)の[[王仁三郎]]の生家(上田家)跡のこと。 | '''瑞泉苑'''(ずいせんえん)は、[[穴太]](現在の亀岡市曽我部町穴太)の[[王仁三郎]]の生家(上田家)跡のこと。 | ||
== 概要 == | == 概要 == | ||
昭和8年(1933年)6月20日、王仁三郎の母・[[上田世祢]]が帰幽する。その後、生家は建物が取り壊され整備されることになった。 | 昭和8年(1933年)6月20日、王仁三郎の母・[[上田世祢]]が帰幽する。その後、生家は建物が取り壊され整備されることになった。 | ||
詳しい時期は不明だが、神勅により、穴太の郷は「[[瑞泉郷]]」、宮垣内の王仁三郎の生家跡は「瑞泉苑」と名付けられた。<ref>{{kgm|651|瑞穂神霊}}、初出は『[[神の国]]』昭和8年10月号</ref> | |||
同年7月、[[久兵衛池]]([[玉の井]])を整備するため周囲に石垣をめぐらし、従来の約6倍の広さに池を拡大した。そして11月2日に[[玉水殿]](建坪65坪の神殿造り)の斧始式を行った。この時より玉の井の名称を「瑞泉苑」と改めることになった。玉水殿は昭和9年(1934年)4月20日、完成祭と大神の鎮座祭が執行された。8月16日には玉水殿の社務所(玉の井池の一端にまたがった建物)が完成し「[[水上館]]」と呼ばれた。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref> | 同年7月、[[久兵衛池]]([[玉の井]])を整備するため周囲に石垣をめぐらし、従来の約6倍の広さに池を拡大した。そして11月2日に[[玉水殿]](建坪65坪の神殿造り)の斧始式を行った。この時より玉の井の名称を「瑞泉苑」と改めることになった。玉水殿は昭和9年(1934年)4月20日、完成祭と大神の鎮座祭が執行された。8月16日には玉水殿の社務所(玉の井池の一端にまたがった建物)が完成し「[[水上館]]」と呼ばれた。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref> | ||
32行目: | 34行目: | ||
〔この項は特記ある場合を除き「[[大本年表]]」をもとに作成した〕 | 〔この項は特記ある場合を除き「[[大本年表]]」をもとに作成した〕 | ||
== ギャラリー == | |||
<gallery> | |||
ファイル:瑞泉苑2018.jpg|thumb|瑞泉苑。2018年12月撮影。 | |||
ファイル:瑞泉苑の玉の井2018.jpg|「[[玉の井]]」(井戸)。2018年12月撮影。 | |||
ファイル:瑞泉苑2019.jpg|瑞泉苑。2019年4月撮影。 | |||
ファイル:瑞泉苑の久兵衛池2019.jpg|[[久兵衛池]]。2019年4月撮影。 | |||
</gallery> | |||
== 関連項目 == | |||
* [[出口王仁三郎の歌碑]] | |||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
37行目: | 50行目: | ||
{{デフォルトソート:すいせんえん}} | {{デフォルトソート:すいせんえん}} | ||
[[Category:大本の施設]] | [[Category:大本の施設]] | ||
[[Category: | [[Category:瑞泉苑|*]] |