「瑞泉苑」の版間の差分

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[[ファイル:瑞泉苑2018.jpg|thumb|瑞泉苑。平成30年(2018年)12月撮影。]]
[[ファイル:玉水殿.jpg|thumb|玉水殿]]
[[ファイル:瑞泉苑の玉の井2018.jpg|thumb|[[玉の井]]」(井戸)。平成30年(2018年)12月撮影。]]
[[ファイル:穴太神聖歌碑(一).jpg|thumb|150px|神聖歌碑]]
[[ファイル:穴太神聖歌碑(二).jpg|thumb|神聖歌碑]]
[[ファイル:玉の井.jpg|thumb|200px|玉の井]]


'''瑞泉苑'''(ずいせんえん)は、[[穴太]](現在の亀岡市曽我部町穴太)の[[王仁三郎]]の生家(上田家)跡のこと。
'''瑞泉苑'''(ずいせんえん)は、[[穴太]](現在の亀岡市曽我部町穴太)の[[王仁三郎]]の生家(上田家)跡のこと。
神勅により、穴太の郷は「[[瑞泉郷]]」、宮垣内の王仁三郎の生家跡は「瑞泉苑」と名付けられた。〔{{kgm|651|瑞穂神霊}}、初出『[[神の国]]』昭和8年10月号〕


== 概要 ==
== 概要 ==


昭和8年(1933年)6月20日、王仁三郎の母・[[上田世祢]]が帰幽する。その後、生家は建物が取り壊され整備されることになった。
昭和8年(1933年)6月20日、王仁三郎の母・[[上田世祢]]が帰幽する。その後、生家は建物が取り壊され整備されることになった。
詳しい時期は不明だが、神勅により、穴太の郷は「[[瑞泉郷]]」、宮垣内の王仁三郎の生家跡は「瑞泉苑」と名付けられた。<ref>{{kgm|651|瑞穂神霊}}、初出は『[[神の国]]』昭和8年10月号</ref>


同年7月、[[久兵衛池]]([[玉の井]])を整備するため周囲に石垣をめぐらし、従来の約6倍の広さに池を拡大した。そして11月2日に[[玉水殿]](建坪65坪の神殿造り)の斧始式を行った。この時より玉の井の名称を「瑞泉苑」と改めることになった。玉水殿は昭和9年(1934年)4月20日、完成祭と大神の鎮座祭が執行された。8月16日には玉水殿の社務所(玉の井池の一端にまたがった建物)が完成し「[[水上館]]」と呼ばれた。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref>
同年7月、[[久兵衛池]]([[玉の井]])を整備するため周囲に石垣をめぐらし、従来の約6倍の広さに池を拡大した。そして11月2日に[[玉水殿]](建坪65坪の神殿造り)の斧始式を行った。この時より玉の井の名称を「瑞泉苑」と改めることになった。玉水殿は昭和9年(1934年)4月20日、完成祭と大神の鎮座祭が執行された。8月16日には玉水殿の社務所(玉の井池の一端にまたがった建物)が完成し「[[水上館]]」と呼ばれた。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref>
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〔この項は特記ある場合を除き「[[大本年表]]」をもとに作成した〕
〔この項は特記ある場合を除き「[[大本年表]]」をもとに作成した〕
== ギャラリー ==
<gallery>
ファイル:瑞泉苑2018.jpg|thumb|瑞泉苑。2018年12月撮影。
ファイル:瑞泉苑の玉の井2018.jpg|「[[玉の井]]」(井戸)。2018年12月撮影。
ファイル:瑞泉苑2019.jpg|瑞泉苑。2019年4月撮影。
ファイル:瑞泉苑の久兵衛池2019.jpg|[[久兵衛池]]。2019年4月撮影。
</gallery>
== 関連項目 ==
* [[出口王仁三郎の歌碑]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{デフォルトソート:すいせんえん}}
{{デフォルトソート:すいせんえん}}
[[Category:大本の聖地霊場]]
[[Category:大本の施設]]
[[Category:大本の施設]]
[[Category:亀岡]]
[[Category:瑞泉苑|*]]