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+ | * 明治32年(1899年)8月15日:亀岡駅・八木駅・園部駅が開業する。嵯峨駅(現・嵯峨嵐山駅)~園部駅間が開通(現在の山陰本線、当時は京都鉄道)。<ref>{{Pid|2948134/6|官報 明治32年(1899年)8月23日p291}}</ref> | ||
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+ | 王仁三郎の生地は[[穴太]]村である。明治22年に合併により曽我部村穴太になり、昭和30年に亀岡町と合併して亀岡市曽我部町穴太となる。そのため「亀岡は王仁三郎の出身地」という認識は昭和30年以降のことである。 | ||
− | + | == 晩年の居住地 == | |
+ | 王仁三郎は明治32年(1899年)に穴太から綾部に移住してからは、綾部に住み、綾部を活動の拠点としていたが、大正10年(1921年)の[[大本事件]]以後、活動の中心を亀岡に移すことにし、大正14年(1925年)の節分大祭を機に天恩郷の造営を開始。亀岡に居を移し、自ら造営の陣頭指揮を取った<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>。 | ||
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+ | 亀岡は周囲を山に囲まれた亀岡盆地にある。中心部を[[大井川 (丹波)|大井川]](桂川)が流れている。 | ||
− | + | == 古代 == | |
+ | * 「太古は亀岡地方はおおきな湖水となっていたようで、亀山城のあたりはその丘陵地であった。口碑のつたえるところでは、大国主命が保津川を掘り、流水の便をはかったという。また一説には、丹波とは「赤い波」の意で「あかなみ」=丹波といったともいう」〔『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2324|亀岡大道場}}」〕 | ||
+ | * 古代は丹波国桑田郡たったが、明治12年(1879年)に[[南桑田郡]]と北桑田郡に分離する。 | ||
+ | * 亀岡市内には丹波国分寺や、丹波国一宮の[[出雲大神宮]]があり、10世紀には丹波国の国府が桑田郡にあったと考えられている。 | ||
+ | * もともとは「亀山」と呼んでおり、江戸時代は亀山藩が置かれていた。明治2年(1869年)三重県の亀山と混同するため「亀岡」藩と改称。明治4年(1871年)7月14日<ref>王仁三郎が生まれた時点(明治4年7月12日)では、廃藩置県前なので、まだ亀岡藩だった。</ref>、廃藩置県により亀岡県となり、同年11月22日に近隣の県と統廃合し京都府となる。 | ||
+ | == 亀山城と天恩郷 == | ||
+ | 明智光秀(1528~1582年)が天正6年(1578年)から「亀山城」を築城。明治22年(1889年)に払い下げられ、大正8年(1919年)に王仁三郎が購入し、神苑「天恩郷」を造営した。 | ||
== 大本の聖地・霊地 == | == 大本の聖地・霊地 == | ||
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* [[天恩郷]] | * [[天恩郷]] | ||
* [[高熊山]] | * [[高熊山]] | ||
* [[瑞泉苑]] | * [[瑞泉苑]] | ||
+ | == 神社・寺院 == | ||
+ | * [[小幡神社]]:王仁三郎の産土神社。 | ||
+ | * [[出雲大神宮]](元出雲):戦前は「出雲神社」と称していた。 | ||
+ | * [[愛宕神社]](元愛宕) | ||
+ | * [[盤栄稲荷神社]](元稲荷) | ||
+ | * [[安行山晴明神社]] | ||
+ | * [[鍬山神社]] | ||
− | == | + | == 霊界物語での亀岡 == |
+ | * [[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝で、亀岡(亀岡町)が舞台として登場する。 | ||
+ | * 太古の神代の物語としては、亀岡という地名は登場しない。 | ||
− | + | == 脚注 == | |
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+ | == 関連項目 == | ||
+ | * [[綾部]] | ||
+ | * [[穴太]] | ||
== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
* <wp>亀岡市</wp> | * <wp>亀岡市</wp> | ||
* [https://www.city.kameoka.kyoto.jp/ 亀岡市(市役所)] | * [https://www.city.kameoka.kyoto.jp/ 亀岡市(市役所)] | ||
+ | * <wp>南桑田郡</wp> | ||
+ | * <wp>桑田郡</wp> | ||
+ | * <wp>亀山城 (丹波国)</wp> | ||
+ | * <wp>京都鉄道</wp> | ||
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2024年7月21日 (日) 06:32時点における最新版
亀岡(かめおか)は、出口王仁三郎の出身地。大本の二大聖地の一つ「天恩郷」がある。
目次
歴史
現在は京都府亀岡市だが、当時は京都府南桑田郡亀岡町だった。
- 明治22年(1889年)4月、町村制が施行され、亀岡町が誕生。
- 明治31年(1898年)2月、高熊山修業。
- 大正8年(1919年)11月、王仁三郎は亀山城址を購入。その後神苑(天恩郷)として整備。
- 昭和30年(1955年)1月、隣村と合併し、亀岡市となる。
- 昭和30年(1955年)6月、日本で二番目に、世界連邦都市宣言を行う。(一番目は綾部市)
- 昭和31年(1956年)9月、国道9号線の亀岡地区の工事完了[1]。
- 昭和34年(1959年)9月、篠村が亀岡市に編入され、南桑田郡は消滅。
鉄道
- 明治32年(1899年)8月15日:亀岡駅・八木駅・園部駅が開業する。嵯峨駅(現・嵯峨嵐山駅)~園部駅間が開通(現在の山陰本線、当時は京都鉄道)。[2]
穴太と亀岡
王仁三郎の生地は穴太村である。明治22年に合併により曽我部村穴太になり、昭和30年に亀岡町と合併して亀岡市曽我部町穴太となる。そのため「亀岡は王仁三郎の出身地」という認識は昭和30年以降のことである。
晩年の居住地
王仁三郎は明治32年(1899年)に穴太から綾部に移住してからは、綾部に住み、綾部を活動の拠点としていたが、大正10年(1921年)の大本事件以後、活動の中心を亀岡に移すことにし、大正14年(1925年)の節分大祭を機に天恩郷の造営を開始。亀岡に居を移し、自ら造営の陣頭指揮を取った[3]。
昭和10年(1935年)第二次大本事件で検挙・投獄された王仁三郎は、昭和17年(1942年)8月7日、責付出獄し亀岡に帰り、中矢田農園内の家を居宅とした。それ以降、昭和23年(1948年)1月19日に昇天するまで亀岡で過ごす。
地理
亀岡は周囲を山に囲まれた亀岡盆地にある。中心部を大井川(桂川)が流れている。
古代
- 「太古は亀岡地方はおおきな湖水となっていたようで、亀山城のあたりはその丘陵地であった。口碑のつたえるところでは、大国主命が保津川を掘り、流水の便をはかったという。また一説には、丹波とは「赤い波」の意で「あかなみ」=丹波といったともいう」〔『大本七十年史 上巻』「亀岡大道場#」〕
- 古代は丹波国桑田郡たったが、明治12年(1879年)に南桑田郡と北桑田郡に分離する。
- 亀岡市内には丹波国分寺や、丹波国一宮の出雲大神宮があり、10世紀には丹波国の国府が桑田郡にあったと考えられている。
- もともとは「亀山」と呼んでおり、江戸時代は亀山藩が置かれていた。明治2年(1869年)三重県の亀山と混同するため「亀岡」藩と改称。明治4年(1871年)7月14日[4]、廃藩置県により亀岡県となり、同年11月22日に近隣の県と統廃合し京都府となる。
亀山城と天恩郷
明智光秀(1528~1582年)が天正6年(1578年)から「亀山城」を築城。明治22年(1889年)に払い下げられ、大正8年(1919年)に王仁三郎が購入し、神苑「天恩郷」を造営した。