「真素美の鏡」の版間の差分
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真須鏡と真素美の鏡は基本的には同じだが、部位を呼ぶ名称が若干異なる。真須鏡は『[[言霊聞書]]』に掲載されているものを、真素美の鏡は『[[大日本言霊]]』に掲載されているものを基準にした場合、次の3点が異なる。 | 真須鏡と真素美の鏡は基本的には同じだが、部位を呼ぶ名称が若干異なる。真須鏡は『[[言霊聞書]]』に掲載されているものを、真素美の鏡は『[[大日本言霊]]』に掲載されているものを基準にした場合、次の3点が異なる。 | ||
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* 棚の左側に記載されている棚の名称が、真須鏡では上から「高天之棚」「天之棚」「中津棚」「地之棚」「根之棚」になっているが、真素美の鏡では'''「天之座」「火之座」「結之座」「水之座」「地之座」'''に変更されている。 | * 棚の左側に記載されている棚の名称が、真須鏡では上から「高天之棚」「天之棚」「中津棚」「地之棚」「根之棚」になっているが、真素美の鏡では'''「天之座」「火之座」「結之座」「水之座」「地之座」'''に変更されている。 | ||
− | + | 真須鏡と真素美の鏡は次の文献に掲載されている。大石凝と五十嵐は中村の弟子、王仁三郎と水谷は大石凝の弟子である<ref>王仁三郎は大石凝と出会う以前、幼少時代に、祖母の[[宇能]](中村孝道の娘)から言霊学を教わっている。</ref>。 | |
* [[中村孝道]]『[[言霊聞書]]』(出版年不明、天保弘化年間<ref>1831~1848年</ref>と推定) | * [[中村孝道]]『[[言霊聞書]]』(出版年不明、天保弘化年間<ref>1831~1848年</ref>と推定) | ||
* [[大石凝真素美]]『[[大日本言霊]]』p15(大正13年4月3日発行、『[[大石凝真素美全集]] 第一巻』収録) | * [[大石凝真素美]]『[[大日本言霊]]』p15(大正13年4月3日発行、『[[大石凝真素美全集]] 第一巻』収録) | ||
− | * [[大石凝真素美]]『[[真訓古事記]] | + | * [[大石凝真素美]]『[[真訓古事記]] 上の巻』p46-47(大正14年9月1日発行、『[[大石凝真素美全集]] 第三巻』収録) …「天之座」などの「座」が「機」に変更されている。また、㋐㋔㋒㋓㋑それぞれの柱が、真須鏡では「初柱」「内柱」「中柱」「外柱」「留柱」と呼んでいるが、本書掲載の真素美の鏡では「地柱」「水柱」「結柱」「火柱」「天柱」に変更されている。 |
− | * [[五十嵐政雄]]『[[言霊真澄鏡]] 坤』p7- | + | * [[五十嵐政雄]]『[[言霊真澄鏡]] 坤』p7-8(明治13年) …真須鏡と同じだが、「真澄鏡」と記載されている。 |
* [[出口王仁三郎]]『[[大本教言霊学]] 火の巻』(神道文化研究所・刊『[[大本言霊学]]』収録、p235-238) …図表ではなく、ベタ書き。真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。 | * [[出口王仁三郎]]『[[大本教言霊学]] 火の巻』(神道文化研究所・刊『[[大本言霊学]]』収録、p235-238) …図表ではなく、ベタ書き。真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。 | ||
* [[出口王仁三郎]]「[[言霊の大要]]」(『[[神霊界]]』大正7年2月号掲載、p33<ref>八幡書店の復刻版だと第2巻p471</ref>) …真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。 | * [[出口王仁三郎]]「[[言霊の大要]]」(『[[神霊界]]』大正7年2月号掲載、p33<ref>八幡書店の復刻版だと第2巻p471</ref>) …真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。 | ||
+ | * [[水谷清]]「[[天津祝詞学]]」(『[[古事記大講]] 第十四巻』所収、p192) …真素美の鏡と同じ。[[水茎文字]]も記されている。 | ||
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+ | [[水谷清]]は「[[天津祝詞学]]」の中で次のように記している。「大石礙<ref>水谷清は同書の中で「大石凝」ではなく「大石礙」と記している。</ref>翁は水茎文字七十五声の排列されたる表を『真素美の鏡』と称して居られる。『真素美鏡』は宇宙万有を照破する明鏡の義であるので、この言霊表が高天原の最高の曼荼羅であるといふ事に成る。(大石礙翁は自らの名をも大石礙真素美と称して居られました所から見ても、如何に言霊の権威者を以て任じて居られたかが窺はれる。『天つ日の光にまさることたまのむすびの息をうけつぎて見よ』は翁の言霊に対する見識の表示と見るべきである)」<ref>[[水谷清]]『[[古事記大講]] 第14巻』p191</ref>。 | ||
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2022年3月8日 (火) 03:14時点における最新版
真素美の鏡(ますみのかがみ)とは、七十五声の言霊を横5列(柱)、縦15行(棚)で配列した図表のこと。大石凝真素美によるものを「真素美の鏡」と呼び、中村孝道によるものは「真須鏡(ますかがみ)」と呼ぶ。
本項ではアオウエイの五大父音(国語学で言う母音)を区別するため丸囲みの㋐㋔㋒㋓㋑の文字で表記する。
原典
中村は大石凝の言霊学の師匠(大石凝の祖父・望月幸智が中村孝道の弟子で、祖父を通して中村の教えを学んだ)であるため、真須鏡の方が時代的に古い。
真須鏡と真素美の鏡は基本的には同じだが、部位を呼ぶ名称が若干異なる。真須鏡は『言霊聞書』に掲載されているものを、真素美の鏡は『大日本言霊』に掲載されているものを基準にした場合、次の3点が異なる。
- ㋐㋔㋒㋓㋑それぞれの柱の「韻」が、真須鏡では、喉唇歯舌牙の韻とするのに対して、真素美の鏡系では喉唇口舌歯としており、㋒が歯から口に、㋑が牙から歯に変更されている。
- 3つの行で1つの棚になっているが、その棚の右側に記載されている「音」が韻と同様に、歯の音が口の音に、牙の音が歯の音に変更されている。
- 棚の左側に記載されている棚の名称が、真須鏡では上から「高天之棚」「天之棚」「中津棚」「地之棚」「根之棚」になっているが、真素美の鏡では「天之座」「火之座」「結之座」「水之座」「地之座」に変更されている。
真須鏡と真素美の鏡は次の文献に掲載されている。大石凝と五十嵐は中村の弟子、王仁三郎と水谷は大石凝の弟子である[1]。
- 中村孝道『言霊聞書』(出版年不明、天保弘化年間[2]と推定)
- 大石凝真素美『大日本言霊』p15(大正13年4月3日発行、『大石凝真素美全集 第一巻』収録)
- 大石凝真素美『真訓古事記 上の巻』p46-47(大正14年9月1日発行、『大石凝真素美全集 第三巻』収録) …「天之座」などの「座」が「機」に変更されている。また、㋐㋔㋒㋓㋑それぞれの柱が、真須鏡では「初柱」「内柱」「中柱」「外柱」「留柱」と呼んでいるが、本書掲載の真素美の鏡では「地柱」「水柱」「結柱」「火柱」「天柱」に変更されている。
- 五十嵐政雄『言霊真澄鏡 坤』p7-8(明治13年) …真須鏡と同じだが、「真澄鏡」と記載されている。
- 出口王仁三郎『大本教言霊学 火の巻』(神道文化研究所・刊『大本言霊学』収録、p235-238) …図表ではなく、ベタ書き。真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。
- 出口王仁三郎「言霊の大要」(『神霊界』大正7年2月号掲載、p33[3]) …真素美の鏡と同じだが、『真訓古事記』掲載の真素美の鏡のように「座」が「機」に変更されている。
- 水谷清「天津祝詞学」(『古事記大講 第十四巻』所収、p192) …真素美の鏡と同じ。水茎文字も記されている。
名の由来
水谷清は「天津祝詞学」の中で次のように記している。「大石礙[4]翁は水茎文字七十五声の排列されたる表を『真素美の鏡』と称して居られる。『真素美鏡』は宇宙万有を照破する明鏡の義であるので、この言霊表が高天原の最高の曼荼羅であるといふ事に成る。(大石礙翁は自らの名をも大石礙真素美と称して居られました所から見ても、如何に言霊の権威者を以て任じて居られたかが窺はれる。『天つ日の光にまさることたまのむすびの息をうけつぎて見よ』は翁の言霊に対する見識の表示と見るべきである)」[5]。
天津金木との関係
大石凝真素美は『天津神算木之極典 第一巻』の中で、天津金木を使って七十五声の言霊の誕生と真素美の鏡の配列の起源を説明している(同書p18-21)。
水茎文字
水茎文字の七十五文字あるそれぞれの字形は、真素美の鏡における配列をもとにした形状になっている。 →詳細は「水茎文字」を見よ