「鞍馬山」の版間の差分
細 文字列「王仁三郎関係マップ1」を「近畿マップ1」に置換 |
|||
(同じ利用者による、間の7版が非表示) | |||
4行目: | 4行目: | ||
(2) 現代の鞍馬山 | (2) 現代の鞍馬山 | ||
== (1) 太古の神代の鞍馬山 == | == (1) 太古の神代の鞍馬山 == | ||
11行目: | 10行目: | ||
== (2) 現代の鞍馬山 == | == (2) 現代の鞍馬山 == | ||
[[ファイル:近畿マップ1.jpg|thumb|京都の鞍馬山の位置]] | |||
[[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝に出て来る。 | 京都にある山。[[第37巻]]・[[第38巻]]の自叙伝に出て来る。 | ||
* 初出:{rm|37|12|邪神憑}} | * 初出:{{rm|37|12|邪神憑}} | ||
* [[第37巻]]では二人の男([[小谷重吉]]、[[小林貞蔵]])に「鞍馬山の魔王大僧正」とか「鞍馬山の大僧坊」と名乗る野天狗が憑依する場面が出て来る。<ref>{{rm|37|12|邪神憑}}・{{rms|37|22|大僧坊}}</ref> | * [[第37巻]]では二人の男([[小谷重吉]]、[[小林貞蔵]])に「鞍馬山の魔王大僧正」とか「鞍馬山の大僧坊」と名乗る野天狗が憑依する場面が出て来る。<ref>{{rm|37|12|邪神憑}}・{{rms|37|22|大僧坊}}</ref> | ||
* [[第38巻]]では、明治33年(1900年)10月の「[[鞍馬山出修]]」の様子が記されている。帰綾後のある夜、「鞍馬山の大僧正」が綾部に来て[[本宮山]]に鎮まった。<ref>{{rm|38|18|鞍馬山(一)}}・{{rms|38|19|鞍馬山(二)}}</ref> | * [[第38巻]]では、明治33年(1900年)10月の「[[鞍馬山出修]]」の様子が記されている。帰綾後のある夜、「鞍馬山の大僧正」が綾部に来て[[本宮山]]に鎮まった。<ref>{{rm|38|18|鞍馬山(一)}}・{{rms|38|19|鞍馬山(二)}}</ref> | ||
== 現実の鞍馬山 == | == 現実の鞍馬山 == | ||
* 現実の鞍馬山は京都市の北東部にある標高584mの山。密教の修験の山で、宝亀元年(770年)に毘沙門天を本尊とする鞍馬寺が創建された。 | * 現実の鞍馬山は京都市の北東部にある標高584mの山。密教の修験の山で、宝亀元年(770年)に毘沙門天を本尊とする鞍馬寺が創建された。 | ||
* 牛若丸(源義経)が修行した山で、牛若丸に剣術を教えた鞍馬天狗が住むと伝えられる。 | * 牛若丸(源義経)が修行した山で、牛若丸に剣術を教えた鞍馬天狗が住むと伝えられる。 | ||
== 俊寛 == | |||
[[出口王仁三郎]]が昭和3年(1928年)1月、[[喜界島]]に巡教<ref>台湾巡教の帰途。</ref>した時に次の歌を詠んでいる<ref>『[[真如の光]]』昭和3年(1928年)2月5日号、歌日記(六一)、5頁、1月13日の歌日記</ref>。俊寛は流刑地の喜界島で死んだと言われているが、実は生きて帰り鞍馬山で「鬼一法眼《きいちほうげん》」になったというもので、[[曲亭馬琴]]の『俊寛僧都島物語』もそういう話になっている。 | |||
* 太平洋荒波に浮く此の島に俊寛ありし昔しのばゆ | |||
* 俊寛は窃《ひそ》かに帰り鞍馬山に天狗と名乗り源家《げんけ》を起《おこ》せり | |||
* 大僧正鬼一法眼と名をかへて牛若丸に軍学教へぬ | |||
== 外部リンク == | |||
* {{wp|鞍馬山}} | |||
* {{wp|鞍馬寺}} | |||
* {{wp|鬼一法眼}} | |||
* [https://kotobank.jp/word/529735 俊寛僧都島物語] - コトバンク | |||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
<references/> | <references/> | ||
[[Category:霊界物語の山|くらまやま]] | [[Category:霊界物語の山|くらまやま]] |
2025年4月14日 (月) 20:03時点における最新版
鞍馬山(くらまやま)は、霊界物語に登場する山で、次の2つある。また大本神業において「鞍馬山出修」が行われた山である。
(1) 太古の神代の鞍馬山
(2) 現代の鞍馬山
(1) 太古の神代の鞍馬山
第1巻第25章「武蔵彦一派の悪計」#に1回だけ出て来る。「小島別は(略)つひに自棄気味になつて大々的活動をはじめ、木常姫、中裂彦の悪神を加へ、鞍馬山に立てこもつて該山の魔王と諜し合せ、数万の邪霊を引つれ、強圧的に竜宮城を占領せむと企てた。」
(2) 現代の鞍馬山

- 初出:第37巻第12章「邪神憑」#
- 第37巻では二人の男(小谷重吉、小林貞蔵)に「鞍馬山の魔王大僧正」とか「鞍馬山の大僧坊」と名乗る野天狗が憑依する場面が出て来る。[1]
- 第38巻では、明治33年(1900年)10月の「鞍馬山出修」の様子が記されている。帰綾後のある夜、「鞍馬山の大僧正」が綾部に来て本宮山に鎮まった。[2]
現実の鞍馬山
- 現実の鞍馬山は京都市の北東部にある標高584mの山。密教の修験の山で、宝亀元年(770年)に毘沙門天を本尊とする鞍馬寺が創建された。
- 牛若丸(源義経)が修行した山で、牛若丸に剣術を教えた鞍馬天狗が住むと伝えられる。
俊寛
出口王仁三郎が昭和3年(1928年)1月、喜界島に巡教[3]した時に次の歌を詠んでいる[4]。俊寛は流刑地の喜界島で死んだと言われているが、実は生きて帰り鞍馬山で「鬼一法眼《きいちほうげん》」になったというもので、曲亭馬琴の『俊寛僧都島物語』もそういう話になっている。
- 太平洋荒波に浮く此の島に俊寛ありし昔しのばゆ
- 俊寛は窃《ひそ》かに帰り鞍馬山に天狗と名乗り源家《げんけ》を起《おこ》せり
- 大僧正鬼一法眼と名をかへて牛若丸に軍学教へぬ