「大石凝真素美」の版間の差分

 
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* 慶応末年(1867~8年?<ref>「伝」には「慶応末年の事たるべきか。年齢正に三十六歳」と書いてあり、何年かは断定されていない。</ref>)(36歳)[[山本秀道]]の家に身を寄せて師事し、神道の蘊奥を学ぶ。
* 慶応末年(1867~8年?<ref>「伝」には「慶応末年の事たるべきか。年齢正に三十六歳」と書いてあり、何年かは断定されていない。</ref>)(36歳)[[山本秀道]]の家に身を寄せて師事し、神道の蘊奥を学ぶ。
* 明治3年(1870年)(39歳)山本門下生の木村一助と共に、濃尾国各部郡の神官たちに、有名無実の神道を廃して真神道を吹聴せよと説き、騒ぎとなる。警察は治安を害するとして二人を捕まえ投獄する。
* 明治3年(1870年)(39歳)山本門下生の木村一助と共に、濃尾国各部郡の神官たちに、有名無実の神道を廃して真神道を吹聴せよと説き、騒ぎとなる。警察は治安を害するとして二人を捕まえ投獄する。
* 疑いが解けて出獄した後、明治6年(1873年)9月、太祖の姓に復り、大石凝真素美と改名する(→[[#名の由来]])。再び山本家に寄寓して神道の闡明に尽くす。木村一助は太玉太観(ふとだまふとみ)と改名する。
* 疑いが解けて出獄した後、明治6年(1873年)9月(42歳)太祖の姓に復り、大石凝真素美と改名する(→[[#名の由来]])。再び山本家に寄寓して神道の闡明に尽くす。木村一助は太玉太観(ふとだまふとみ)と改名する。
* 明治8年(1875年)秋(44歳)太玉太観と東上し、山岡鉄太郎を訪ねる。9年4月21日、誓火(うけひ)の霊験を実験するが太玉太観は失敗し、片手が焦げて失ってしまう。大石凝は帰途に就き、近江国甲賀郡毛枚村([[#家族]])にて謹慎する。
* 明治8年(1875年)秋(44歳)太玉太観と東上し、山岡鉄太郎を訪ねる。9年4月21日、誓火(うけひ)の霊験を実験するが太玉太観は失敗し、片手が焦げて失ってしまう。大石凝は帰途に就き、近江国甲賀郡毛枚村([[#家族]])にて謹慎する。
* 再び大和国を巡遊する(大和三山に関する話は「古事記神秘之正説」に詳しい)。[[吉野山]]で金鉱を探す。
* 再び大和国を巡遊する(大和三山に関する話は「古事記神秘之正説」に詳しい)。[[吉野山]]で金鉱を探す。
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== 名の由来 ==
== 名の由来 ==
大石凝真素美という名の由来について「伝」は触れていない。他の資料<ref>「天津神算木之極典 第二巻」『大石凝真素美全集 第二巻』収録、p356</ref> <ref>大宮司朗「「天津金木」秘占秘儀」(学研ムー1994年8月号)p109</ref> <ref>山本白鳥「大石凝翁ゆかりの地を訪ねて」『大石凝真素美全集 解説篇』収録、p84</ref>によると、自分は稗田阿礼(古事記編纂者の一人)の生まれ変わりであり、霊統としては、山本秀道は玉祖命、自分は石凝姥神(どちらも天の岩戸開きで活躍した神)の系統であることを覚ったのだという。真素美は「[[真素美の鏡]]」に由来する。
大石凝真素美という名の由来について「伝」は触れていない。他の資料<ref>「天津神算木之極典 第二巻」『[[大石凝真素美全集]] 第二巻』357頁〈其稗田の阿礼の神霊《ミタマ》が遺勅を守りて亦復又大伴の家に生れ出でて大石凝真素美と成りて〉</ref> <ref>大宮司朗「「天津金木」秘占秘儀」(学研ムー1994年8月号)p109</ref> <ref>山本白鳥「大石凝翁ゆかりの地を訪ねて」『大石凝真素美全集 解説篇』収録、p84</ref>によると、自分は稗田阿礼(古事記編纂者の一人)の生まれ変わりであり、霊統としては、山本秀道は玉祖命、自分は石凝姥神(どちらも天の岩戸開きで活躍した神)の系統であることを覚ったのだという。真素美は「[[真素美の鏡]]」に由来する。


== 天津金木 ==
== 天津金木 ==
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* [[山本秀道]]
* [[山本秀道]]
* [[真素美の鏡]]
* [[真素美の鏡]]
* [[水茎文字]]
* [[六角切り子]]
* [[六角切り子]]
* [[天津金木]]
* [[天津金木]]