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西田元教

358 バイト追加, 2023年12月25日 (月) 23:27
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'''西田元教'''(にしだげんきょう、1872~1958年)は、大本信徒。(にしだ げんきょう。1872~1958年)は、大本信徒。[[出口王仁三郎]]の義弟(妹・[[雪子]]の夫)。旧名・森元吉。本名・西田元吉。『[[王仁文庫]]』では「元治郞」という名で記されている<ref>{{obc|B115006c04|『王仁文庫 第六篇 玉の礎』19~29}}</ref>。「げんきょう」(旧字体「げんけう」)ではなく「もとのり」とフリガナが付いている文献もある<ref>[[入蒙記]]第2章など</ref>。
西田は大本の草創期に王仁三郎に従い宣教に尽力した。また、ある時に大本を追放され、王仁三郎の密命で二個の玉を預かり保護するという御用を行った。
== 略歴 ==
[[ファイル:西田元教と出口王仁三郎.jpg|thumb|出口王仁三郎と西田元教。]]
 
明治5年(1872年)8月1日、和歌山県日高郡上南部村(かみみなべむら)(現・みなべ町の南東部)<ref>昭和29年(1954年)に上南部村・高城村・清川村が合併して「南部川村」が発足。平成16年(2004年)に南部川村と南部町が合併して「みなべ町」が発足した。</ref>で生まれる。森為蔵(森為七)<ref>『上南部誌』p.596では「森為蔵」(ただし田中神社の西田元教碑裏面の文面による)、みいづ舎版『[[大地の母]] 第五巻』「去る女たち」p.252では「森為七」。</ref>・ヒサノ夫婦の次男。
{{inyou|(略)誰がどう言おうとも聖師一筋、神業一途で頑張ったのや。そりゃ並の神業やない、二人だけ<ref>王仁三郎と西田の二人</ref>の秘密のことも、どれだけあったか知らん。(略)そのワシが罪もないのに聖師に裁判にかけられたり、『西田は天の賊やから西田を見たら殺して呉れ』とまで追いつめられた。それを真に受けた井上や桜井達<ref>井上留五郎と桜井重雄か?</ref>は子分に手配して本気でワシを殺す計画まで立てよった。もう、いよいよ殺されると観念して大本を出たんや、仕方のないこととは言え、思へば聖師の妹や!その可愛い妻を残して行く当てもない夜逃げや!(略)やっぱり隠れ家は大阪しかなかったのや(略)お伊勢はん信仰に見せかけの『神勇会』を作って食いつなぎをしていたんや(略)そして大本色が抜けたと思っていたところへ…ヒョッコリ戸障子を叩く者が現われたんや、何とそれがワシを追い出した張本人の兄貴(聖師)だったんや!|森恵昭「カミにも裏表あり」}}
王仁三郎はこの時、西田に二個の玉を玉を預けた。次は「カミにも裏表あり」に記された王仁三郎の発言である(ただしこれらの発言は西田から森が伝え聞いた記憶であり、実際にそのように話したとは限らない)。王仁三郎はこの時、西田に二個の玉を玉を預けた。次は「カミにも裏表あり」に記された王仁三郎の発言である(ただしこれらの発言は西田から森が伝え聞いた記憶であり、王仁三郎が実際にそのように話したとは限らない)。
{{inyou|(略)やがて日本も、もう二へん立替えをやらんならん。だけどなあ、お前もワシも人間に生まれた身や、限りのある肉体や!だから万古変わらぬ世界立替えの神力に繋がる証拠の品が要るのや。お前も一つは見たことがあるやろ、まだ見せたことのない宝は、今ここへ持って来た、これや。これはワシも手放さず側へ持っていたいが、これからの大本は次から次へと魔の手が伸びて来る。役員じゃ、幹部じゃ言うて威張ったところで、金神様の代わりは出来ん、屁の突っ張りにもならん奴らばかりや。だから秘密を明かす人間はお前しかおらんのや、西田を見たら殺してくれと頼んだのは、この秘密を守るための手段や。この神界の秘密のためとは言え、お前や妹ゆきにもすまんことやけど、よう不足に思わんと朝夕神様に仕えてくれて、神様も今日の日を非常に喜んでくれているが、万事一寸の狂いもなく立替え立直しの神業の出来るのは、お前あってのワシや。見込んだりや出口王仁三郎!見込まれたりや西田元教、申すまでもなく他言はまかりならんど!(略)この○○は時節が来ればドエライ働きをする大切なものだが、天界からのお手伝いがない限り、大本の中でこれを使える人間は一人もおらんのや。例えこの王仁が再びお前を呼ぶようなことがあっても、天界のお許しのない限りは、ワシの使いと名乗る者が来ても何も知らぬで通すやうにしてくれ、肉体的には今夜がお前との最後の別れと承知してくれ(略)|[[森恵昭]]「カミにも裏表あり」}}
=== 泉田瑞顕の説 ===
[[泉田瑞顕]]著『[[出口聖地と一厘の仕組]]』([[#参考文献]]参照)によると、泉田は昭和56年(1981年)5月21日、[[中矢田]]で<ref>泉田は前日の「いづとみづの会」の会合に出席していた。</ref>森恵昭に出会い、西田元教の話を聞いた。すでに泉田は昭和28年(1953年)6月19日に霊夢によって、森恵昭に出会い、西田元教の話を聞いた。すでに泉田は昭和28年(1953年)6月19日に[[高田君与]](元大本信者で、[[赤心会]]霊代)が見た霊夢によって、[[八重野]](宇知麿の妻)宅にその玉が保管されていることを知っており、森の話は霊夢と一致していた。その霊夢によると、二個の玉は大正5年(1916年)に王仁三郎が[[神島]]で見つけた「金剛不壊の宝珠」と「紫の玉」である(霊界物語に登場する「[[三つの玉]]」を参照)。
西田は大正5年5月の[[神島開き]]の前、約1ヶ月間、王仁三郎の内命によって高砂に滞在し、色々な準備をしていた。<ref>『出口聖地と一厘の仕組』p.9</ref>

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